願望実現がすんなりいく時Ⅰ

私たちの幸せを妨げる代表選手。

それが「罪悪感」です。

量の差はあれ、すべての人が生まれた頃から心の中のどこかに罪悪感を持ちながら生きています。

 

例えば、「手を洗わずに食事はしてはいけない」と学校で教えられ、手を洗わずに食事をした時に叱られることがあれば、罪悪感を感じるでしょう。

それ以降、ついうっかり手を洗わずに食事をすればそのたびに罪悪感を感じるようになっていきます。

〜でなければいけない。

普通は〜するもの。

生まれてからこれまで生きてくる中で身につけた、あらゆる観念が自分を罪悪感で縛り付けるようになっていきます。

 

子供の頃「先生や親の言うことを聞かなければならない」という観念を持ち、いう事を聞けないと罰される。そんな体験を幼い頃にしていれば、それ以降も目上の人や親に従い続けるか、またはそれに反抗はするものの、反抗した時は強い罪悪感を抱くでしょう。

 

「普通は30歳くらいになるまでに結婚をして、結婚をしたらすぐに子供を作るもの」という観念を持っていれば、そうできない自分に罪悪感を感じるかもしれません。

 

「人には優しくしなければならない」という観念を持っているとすれば、自分に無理をさせてまでいつも笑顔でいようとするかもしれませんし、自己犠牲的に生きるかもしれません。また、それができない時は自分を強く責め罪悪感を感じるでしょう。

 

「人に勝ってはいけない」という観念を持っていれば、自分だけ優遇されたり、賞をとったり、活躍する機会が訪れると罪悪感を感じるでしょう。

 

「自分はこうあるべき人間」という理想を掲げ、それに見合った行動ができなかったり、長い間そうなれない時も罪悪感を感じるかもしれません。

 

この世に存在する、ありとあらゆる観念(思い込み)が罪悪感のきっかけになりますし、逆に子供の頃から何らかの理由で罪悪感が強ければ、些細なことにでも罪悪感を感じやすくなるかもしれません。

 

罪悪感を感じるのが嫌だから、自分の心に嘘をついて生きる。人の基準に合わせて無理して生きる。そんな人も多くいます。

心が疲れてしまうのはずっと長い間、心が罪悪感に支配されてしまっていて、我慢して生きることも辛く、だからと言って我慢をやめて自由に生きる事にも罪悪感を感じるという複雑な状態になっているからとも言えます。

 

また、誰かが自分の思い通りに動いてくれない事を批判すればするほど、自分のことを不自由にさせていきます。

なぜなら、相手が「自分の暗黙のルール」に従わずに自由に行動する事を許せないということは、相手の暗黙の期待に自分が従わないことも許せないということとイコールだからです。

 

恐れがベースの世界は、「世間」や「普通は」というルールでお互いをお互いで縛りあって、罪悪感で支配をしあいながら生きているようなものです。

罪悪感と、罪悪感を感じないためにする行動(補償行為)をベースで生きていれば、エネルギーが低レベルのため、願望はハードワーク無くしては実現しづらくなります。

 

自分に制限をかけるものを手放し、自由に生きることで初めて天才性も開花されていきますが、恐れの思考がベースの世界では「策をめぐらせて」「戦略を持って」なんとかコントロールしながらうまくやっていく必要があります。

とはいえ、今私たちが生きている世界は政治にしても、ビジネスにしても、金融にしても、生き残るためには「戦略」が必要という考えが主流になっていますしわたしはこのやり方を否定してはいません。

 

ただ、そのままの自分を生き、シンクロニシティを起こしながら軽やかに流れるように自分が一番才能を発揮できるような願いを叶えていきたいのであれば、

〜でなければいけない。

普通は〜するもの。

〜してはいけない。

〜しなければいけない。

というありとあらゆるルールから相手と自分を自由にすることが大切なのです。

 

例えば、いい人と、わがままな人、意地悪い人の価値は同じです。

どれでも良いのです。

なぜなら、わがままな人をジャッジする事は、自分は他人のことを考えて生きなければいけないと自分を縛り付ける事になるからです。

自分の意に沿わない相手の行動を許していくことは、自分が相手の期待に応えて生きない事を許可する事なのです。

つまり、ありのままでいる権利、感じるままに振る舞う権利を自分に与える事になるのです。

 

人生の流れはベストなタイミングで、自分が抑圧している部分を教えてくれるような相手を目の前に運んできてくれます。

自分に「やってはいけない」

と禁止しているようなことをする相手が目の前に運ばれてきて、

その相手を責めない(許す)ことで、自分がもう一段階自由になっていく流れがあるのです。

どうしても許せない相手。どうしても批判したくなるような相手。

その人が家族であっても、他人であっても、どんな人であっても、そう感じる時、

その人からのメッセージは、

 

あなたも同じことをやっても良いのですよ。
(または、)
かつて私と同じことをした
自分を許してあげてください。

もっとあなたらしく自由になって、もっと自分のことを愛して。

もっとあるがままに、もっともっと自分のあらゆる面を受け入れてもいいのです。何をしてもしなかったとしても良いのです。

我慢はもうやめて良いのです。もっともっと自由になって良いのです。

 

という愛の言葉なのです。

ありのままの自分になるための誘いなのです。

そうして、許せない人の言動を許す時、同じことをかつてした自分、またはするであろう自分を罪悪感から自由にしていくことができます。

どんどんありのままになっていきます。

罪悪感という自分の殻が一枚ずつ剥がれていくたびに才能が開いていきます。

罪悪感というのは、自分を幸せにしないための重荷のようなもの、

罪悪感を手放せば手放すほど、努力なしに成功と幸せに近づいていきます。

罪悪感がなくなればなくなるほど、幸せを受け入れられるようになっていきます。自分には受け取る価値があることを感じられるようになっていきます。

軽やかになり、リラックスし、自由になり、本当の自分自身になり、必要なことが目の前に努力なしに運ばれるようになっていきます。

生まれてからこれまで教えられてきたどんなルールも価値基準も善悪も自分に当てはめて判断することをやめてください。

 

オールオッケー。

 

そうしたら大変な事になる!

と自分の中の「怖れの声」は語りかけてくるでしょう。

でも、真実は逆です。

何をしてもしなくてもオッケーなんだ。罪悪感なんていらないんだ。

そう思えた時、実は一番、他の人や自分のためになる行動が取れるようになるのです。

一般的にみて「悪い事」をしまう人は何でもオッケーだと思っているから罪を犯すのではなく「罪悪感」がどうにもこうにも重すぎて行ってしまうのです。

だから、何でもオッケーで自分は何をしてもしなくても許されている。

そう思っていた時の方が本当に愛に基づいた行動が取れるんです。

願いの実現に必要な一番効果的な行動や姿勢や選択も、愛に促され無理なく自然に取れるようになっていきます。

 

〜でなければいけない

普通は〜するもの

〜してはいけない

〜しなければいけない

〜すべき

ではなく、

 

心からの

〜したい

を大切にしてください。