私たちはいつから「自然にうまくいく」ということを信じられなくなってしまったのでしょうか。
うまくいくようにしないと。
うまくいかなくするであろうものを排除しないと。
自分を守らないと。
あの人を守らないと。
全てを管理しないと。
そんな風に何かしらコントロールしないとうまくいかない。
そう信じだしたのはいつからだったんですかね・・・
そのまま(ありのまま)にしておいたらうまくいかなくなった事があって、これからはそうならないようにと、防衛が始まったのかもしれません。
そのまま(ありのあまま)にしておいたらうまくいかなかった人が、そのままにしておいたら大変なことになるよ、と教えてくれて、それを覚えたのかもしれません。
でも、本当はうまくいかないように見えたことも、本当はうまくいっているのかもしれません。
例えば、大好きだったけれど女性関係に問題があった人と別れ、そのあとに本当に自分を大切にしてくれ、相性ぴったりの人と出会い、結婚、今はたくさんの可愛い子供に恵まれているとすれば、初めの彼氏と別れたことも、その彼が女性関係に問題を持っていたことも「うまくいった」部類に入るんですよね。
私たちは、1つの「過程」を経験しただけなのに、それを避けようとして、自分や他の人をコントロールし続けて生きているのかもしれません。
ちなみに、私たちはよく、過去に〜だったから、親が〜だったからという怖れをベースに新しく出会った誰かに対しても防衛をしていますよね。意識レベルでも、無意識レベルでも。
それって、例えば、昔の彼氏が浮気したから、新しい彼氏に「あなたの携帯毎日チェックさせてね!」と言い、チェックしたり、連絡が取れないと鬼ラインしたりするのと同じことなんですよね(笑)
そして、新しい彼をウンザリさせ、白だった彼を浮気に走らせるという・・・・
自分がされたら絶対に嫌なことを、みんながやってます。(笑)
過去を今の目の前の人に投影して、自分を防衛して人を攻撃したり、遠ざけているんですよね。
その結果、避けたかったことを引き寄せたりしています。
人生には確実に「流れ」が存在していて、それはもちろんベストな方向へ運ばれていき、自分が最も幸福に感じられる場所に行き着く流れです。
そんな風にすべての人の人生は、内側に秘めている生命力の奇跡の力そのものの導きがあるのに、私たちはその叡智に抵抗し続けているのかもしれません。
世の中の考えとか、過去とか、劣等感とか、罪悪感とか、恐れとか・・・
そういう何かに縛られて、自分や、他者や、状況を一生懸命にコントロールしようとして、でも、みんながコントロールしようとしてみんなでごちゃごちゃの方向に物事を引っ張っていこうとしているから、そこでトレッドミル(ベルトコンベアー状のランニング装置)に乗っているような状態になって、前にもすすめない、後戻りもできない、ずっと走り続けて苦しんで、息切れして、疲れ切ってしまっている・・・・
そんな状態になっているのかもしれません。
それが、人生に問題、病、借金、不仲、孤独・・・などを創り出し、
本来の健やかで豊かで愛溢れる姿から遠ざかってしまっているのかもしれません。
本当は誰もが自然にうまくいけばいいと思っていると思います。
(あ!でもエゴは達成感を求めて頑張って苦労したいと思っているかも・・・)
そして、本当にうまくいくのはコントロールを手放し、自然にうまくいくことを信頼した時なのかもしれません。
人生の流れを信頼するベースとして、
「自分自身も含め、誰もが、神聖な存在だし、内側には完全な叡智を秘めている、永遠の命がある完全な存在。」
そのような見方があると信頼しやすくなります。
私たちが他人をコントロールしたいと思う時、それが子供であっても、親であっても、信頼していないんですよね。危ういと思ってしまっているんです。
子供も年老いた親も、神の英知を内包しています。
だから、信頼していて大丈夫なんですよね。
わかりやすい例で言えば、素人の自分が、なぜかカリスマ美容師に、ハサミの持ち方を指導するという、おかしなことをやっているようなもんなんですよね。
誰かを心配するというのは。
同じように、人生の状況を全て自分でコントロールしないとうまくいかないと思って、自分で一生懸命にプランを練って頑張っている時というのは、医療のことを何も知らないのに、名医と呼ばれる先生に向かって注射の仕方を教えようとし、挙げ句の果てに、自分で打つからいい!!と先生から注射器を取り上げるようなものなんですよね。
自分や他者や宇宙の完璧な叡智を信頼できていないんです。
例え話にするとかなり笑えますが、そういうこと、みんなやってるんですよね。
もっと、他人も人生も信頼しても大丈夫なんです。
「自然」という叡智に任せても大丈夫なんです。