ドリーン・バーチュー博士のデイリーガイダンスというオラクルカードデッキの中に、「Blessing In Disguise」(祝福のさまざまな形)という一枚のカードがあります。
昔、未来の位置にこのカードが出る度に、「うわーなんか嫌だなあ」と思っていたことがあります。
日本語の意味だと、「災い転じて福となす」というような意味になります。
未来の位置にこのカードが出るということは、とりあえず「人の目」には「災い」に見えることが起こりうるということですもんね、ちょっと緊張感が走りますよね。
それでも、それを嫌がる、怖れる気持ちこそが「エゴ(自我)」なんですよね。
エゴは全てを自分の手に握りしめていたいんですよね。
ちなみに、エゴというのは、利己主義者を表すエゴイストのエゴという意味ではなく、自我、つまり、自分と他の人とは別の人間、神(ハイヤーセルフや宇宙)と自分は別、離れているという意識、そこから生まれる思い、それを「エゴ」と呼んでいます。
多くの人は、自分と他の人とは別の人間、神や宇宙と自分というのは別の存在で分離しているため自分を外側から守って生きなければ、自分でやらなければ、と捉えていると思います。
さて、カードの内容のお話に戻ります。
このカードの表している内容というのは、「信頼して委ねる」という話なんですね。
私たちのエゴというのは、「自分のやり方」でやりたがります。あらゆることをコントロールしたがります。安全で居たいからですよね。自分を守らなければと思っているからです。
だから、エゴというのは、自分の願いがどうやって叶うかも操作したい、と思ってるんですよね。というか、エゴは、どうやって願いが叶うかがあらかじめわかり、それを実際に実行しなければ願いは叶わないと思っています。
このカードのガイドブックには、
・望みが「いかに」叶うかは、神が決めることであり、それは常にあなたにとって最高の形である。
・状況を思いのままにしたい、あるいは結果を予測したいという気持ちを解き放つ
・信じる
と書いてあります。
エゴが最も嫌がることですよね(笑)
エゴで計画を立ててそれを生きる、コントロールを握る、エゴはそうすればきっと自分は安泰でいられるはず、と感じているかもしれません、けれど、自分で頑張ってなんとかやりくりして生きるしかないというやり方なんですよね。
そして、そのやり方で、必ずしも安泰でいられるか、といえばそんなことはない、ということを私たちはすでに知っているはずです。
誰もが、エゴが立てる計画が、うまくいったかといえばそうではないことを知っていますし、エゴが立てる計画で幸せになったかといえば、そうでないことも知っているんですよね。
それで、なぜ、エゴの「幸せになるための計画」はうまくいかないかというと、防衛だからなんですよね。
防衛というのは、「抵抗」ともいえます。
つまり、流れに逆らっているんですね。
もう一度、言います。
エゴの計画は、逆流しているんです。幸せの実現から遠ざかっているんです。
ベルトコンベアーのように、そこに乗れば、自動的に運ばれていくように、私たちの人生には明らかな「流れ」やそれに気づくための「導き」というものがあるんですね。
川下りのように、カヌーに乗り楽しみながら自然に川を下って目的地に着くんですよね。
そこにいれば、素晴らしく、奇跡のように、すべてがカチッとはまるような、誰の人生にもそういう流れがあるんですよね。
でも、エゴの目にはコントロールを握れないことが、怖れにうつるんですね。
エゴの計画というのは、川下から川上に船を漕ごうとするようなものですし、ルームランナーの上を走っているようなものなんですよね。
私たちの人生は、完璧な流れの中にあって、宇宙の無限の叡知の中に私たちは置かれていて、その叡智が紡ぐ私たちのための完全な幸せな計画というのがあるんですよね。
実際に聞いたお話です。
ニューヨークに住む女優さんのお話です。離れた場所に住む、彼女の父が身体を患い、そのことで父をどうやって救えば良いだろう、一緒に住む家族をどうしよう、経済的な問題は、父の事業は、・・・と悩んでいたそうで、そんな時に奇跡のコースを学ぶセンターを訪れたそうです。そこで、スピリットのガイダンス「努力をやめなさい」というメッセージをきき、とりあえずオーディションや足繁く通っていたエステはお休みして、趣味である帽子を作ることを楽しんでいたそうです。
ある日、その帽子を友人の帽子展に持っていったところ、たまたまニューヨークに来ていたハリウッドの映画監督にばったり出会い、役が決まったそうです。それも、彼女の自作の帽子をかぶった彼女の姿が、監督の次回作品に欲しいと思っていた登場人物にそっくりだったからだそうです。
彼女の心があくせくせず、落ち着ちつき、父に治って欲しいと思うことや、救うために頑張ることもやめたところから、お父様にも様々な奇跡が起こり、お父様は治療法の確立していない難病も克服してしまったそうです。
「自分で計画して頑張る」「自分の力で何もかもをうまく行かせようする」ということをしなくても大丈夫。むしろしない方がうまくいく、委ねていて大丈夫。ということだったんですよね。
私の友人にはこんなことが起きました。
友人の男性が恋人に振られた時のことです。その時に悩み相談をして仲良くなった友人がたまたま誘ってくれたセミナーに行ってみたら、同じセミナーに参加していた現在の彼の妻と出会った、という出来事がありました。
Appleのスティーブ・ジョブズも、自分で創立したApple社を退社に追い込まれるというかなり辛い経験を経て、ピクサー社に移ることになり、そこで最愛の奥様と出会ったと話していました。
家族が病になることも、振られることも、クビになることも、エゴには到底受け入れられない出来事だと思うんですね。
私たちは、一般的に「悪いこと」と思われていることが起きないように、起きないように、起きればそれを取り除こうと一生懸命に自分で頑張って、自分を守って生きているんですね。
それが、コントロールになり、抵抗のエネルギーになってるんですよね。
自分の願っていることが自然に起こることを、自らブロックしてしまっているんですよね。
でも、私たちの善悪の判断というのは本当に自我レベルのものしかないんですよね。エゴの目から見る「悪」というものに、私たちを本当に脅かす力というのはないということを天も宇宙も知っているんですよね。だからこそ、それを幸福のための道具にもできるんですね。
私たちは、本当は、シンクロニシティーが起き、流れに乗った人生、奇跡のように運ばれていく人生、これはまるで神ごとのよう、思いもよらなかった・・・そんな風な毎日を見ていたいのではないでしょうか。目標を設定して、歯を食いしばってそれに向かって自分で頑張るというのはもうずっとやってきたことですから。
今、世間ではソーシャルディスタンスをはじめとした「新しい生活様式」を取り入れるなんて言われていますよね。
私たちも、奇跡に溢れた日々を送っていくための「新しい生活様式」を取り入れるのはいかがでしょう。
それはどんなことかといえば・・・
善悪の判断をストップして、流れに逆らうことをやめてみる。
閉じている扉を開くために努力するのをやめて、とりあえず今、開いている扉に入ってみる。
自分のやり方や計画を手放す。
天にお願いしたのに、「自分でも頑張ってやる」というのをやめてみる。
という「新しい生活様式」です。
何一つ、自分で頑張って、あらかじめ用意して、自分でコントロールしなくても上手くいくんだ。それもシンクロニシティや思いもしなかったような驚きの方法で。
本当の”ワクワク”とはそういう人生なのかもしれません。
そういう人生が、コロナを「奇跡の扉」にして始まっても良いのかもしれません。
祝福のさまざまな形。
「祝福」はそれとわかりやすいものもあれば、わかりにくいものもあって、さまざまな形をとっている。
結局のところ、私たちの人生というのは、祝福だけで成り立っているのかもしれません。