幸せとは・・・

みなさんには、全身全霊を傾けているもの、専心しているものがありますか?

これをすれば何かが得られる、

という理由で行っていることではなく、ただ、今ここでそれをすることで歓びを感じられることです。

私たちの多くは、これをすれば何かが得られると考えて「今」を生きるよりも、未来をどうにかするために生きてきたように思います。

未来のために、今を生きる。

という生き方です。

未来のために、今を犠牲にしてしまっている人も少なくはないと思います。

未来に何かを得るためにする。これをすれば何かが得られると言われているから今の自分はそれをしたくはないけれどそれをする。

それは安定した老後のためかもしれませんし、いつか誰かに愛されるような自分になるためかもしれません・・・

でも、誰もがわかっているようにその生き方というのはすごく「不自由」なんですよね。

誰もがなんとなくわかっていることは、未来に何かを獲得するために生きるということや、未来のために何かを選択するということは「自分を不自由」にしてしまうことになりかねないということです。

自我からの願いを実現しようとすると、「自由になるために不自由になる」という葛藤が生まれます。

例えば、パートナーが欲しいと思い結婚相談所に相談をしにいくと、きっといろんなアドバイスを受けると思います。

・もっと髪型を変えた方がモテる

・洋服はもっと清潔感があるものを選びなさい、女性ならピンクを着たり 
 アナウンサーのような髪型や服装を目指しなさい

・収入が多い人と結婚したいのなら、あなたも貯金を作りなさい

・美人で若い人と結婚をしたいのなら、収入を増やしなさい

・高望みしすぎないで妥協しなさい、現実を見なさい

・異性が喜ぶような振る舞いや会話の仕方を身につけなさい

実績があると言われているアドバイザーほど、きっと

こうすればうまくいきますよ

というアドバイスをくれると思うんですね。

けれど、私のところに来るクライアントさんたちを見ていると、そうしたことがすごく窮屈に感じている人たちがいるんです。窮屈に感じるし、もしも、「モテるように自分をつくって」誰かができたとしても、それは本当の自分が愛されているということになるのだろうか・・・と思う人もいるのではないでしょうか。

けれど、自我のレベルで、「ああなりたい」「こうしたい」と思うことを実現するには、ある種の「不自由感」が伴うのはある意味自然なことなんです。

自我が何かを願うということは、「足りない自分」「欠けている自分」というのが前提になっている願いだからです。今の自分をある意味、否定していくことが、望む自分になっていく方法でもあるんですよね。

 

多くの女性にちやほやされたければ、お金持ちになったり、いい会社に勤めたり、仕事で成功したり、外見を磨いたり、話術を身につけたりしなければなりません。

優良企業に勤めるためにいい大学に合格したければ、遊びたい気持ちを我慢して勉強に時間を使わなければなりません。

スタイルが良い自分を保とうと思えば、本当は好きではないけれどジムやエクササイズに通い続けなければなりません。

でも、そうした不自由は「本当」に報われてきたのだろうか・・・・

その不自由は自分を永続的に幸せにし続けてくれたのだろうか・・・

不自由から、本当に自由は生まれたのだろうか・・・

と正直な人であれば、考えたことがあるのではないでしょうか。

 

自我からの願いや、怖れの気持ち、欠けている自分をなんとかしなければならないという想いから定めた目標を実現するには「不自由」というものがついてくるんですよね。

でも、その不自由さには耐えられない。でも、自我からの願い(例:認められたい、他の人たちに愛されたい、この世の基準に合わせて優れた自分でいたい、親の期待に応えたい・・・など)を叶えたい、

自分(エゴ)の自由にやりたい、縛られたくはない、自分の内なる声にも従いたくない、でも自我からの願いは叶えたい。その葛藤の中にいる方の多くは、スピリチュアルなことを学んでもほとんど望む結果が出ていないように思います。

 

多くの人の人生の前半というのは、きっと自我からの願いを実現するために「不自由さ」を感じながら生きるものだったと思います。

それで、そういう人生を生きてきて、そのやり方が本当に自分を幸せにしてくれたのか??

という疑問を持ち始めて、スピリチュアルな世界に入ってくる人も多いと思うんですよね。

 

私が思うに、

未来のために今を生きる。というのはうまくいかないのではないかということです。

自我の願いを叶えるために、不自由に生きるというのは引き寄せの観点から言っても、不自由しか引き寄せないのではないか。

ということです。

それで、私たちにできることは何か、といえば、

今のために今を幸せに生き、未来のことは信頼して手放す。

ということではないでしょうか。

自分ができることは、今したいことをして間断なく続く「今」を満たしていくことだけ。
必要なものは、スピリットによって供給され続けることを信頼して。

 

逆に、自我の願いを叶えたい。やっぱり叶えてみたい。体験したい。
そう思うのであれば、「不自由」を受け入れていく。不自由として捉えるのではなく、その中に楽しみを見出していく。

ということです。

未来を手放せず、自分のコントロール下に置いておきたい。

そう望むのであれば、その外へ向けているコントロールというものは、自分自身をもコントロールする(不自由)ものになるということを受け入れるということです。

そして、不自由を受け入れながら、二極の世界を受け入れながら実現を目指す。
それも素晴らしい生き方だと思います。

 

どちらでもいいんだと思います。

 

私が今感じていることは、幸せとは未来にあるのではなく、心を注ぎたいものに今、心を注げていること。

これに専心したい。そう思えることがあり、妥協することなくそこに自分の全てを捧げることができることだと思っています。

結果(未来)を気にせずにです。

未来を手放すというのは、エゴにとってはとても恐ろしいことなんですよね。コントロールを失ってしまうというのはエゴにとってとても怖いことです。

でも、自我のコントロールを手放す勇気がなければ、スピリットの壮大で完璧な計画には委ねられないし、流れも生まれてこないんですよね。

奇跡は、自我のコントロールを手放したところでずっと待っていてくれているのだと思います。

エゴは、コントロールを手放すと「何かを犠牲にしなければならない」と思っていますが、本当は、コントロールを手放すと、「自分はこれが本当は欲しかったんだ」と思えるものが現れてくるんですね。

何一つ犠牲になんてしなくていいどころか、自分以外のみんなも一緒に豊かに幸せになっていく世界です。