天に委ねるのが難しい時は

スピリチュアルではよく「委ねる」という言葉が出てきますよね。

神様や天、宇宙に委ねること。

自我のやり方や願いに固執するのではなく、

委ねなさい

とよくでてきますよね。

委ねなさい。

と言われると、私たちのほとんどは「自分の願いは叶わない」かもしれない。

「自分は何かを妥協しなくてはいけない」「諦めなくてはいけない」と思うと思います。

委ねるというのは、願いを諦めること。

そんな風に思ってしまうんですね。

それは、エゴ(自分の中の怖れ)が自分に幸せになって欲しくないからこそ、「委ねたら諦めなくてはいけなくなる」

と語りかけてくるんですよね。

委ねる。

そう聞くと諦めのように感じるかもしれませんが、それは全くの誤解です。

天に「委ねる」とはすごくわかりやすい例えでいうと

足の不自由な人が「もっと良い車椅子をください」とお願いするのではなく、「私がもっと自由を感じられるようにしてください」と天に委ねたら「歩けるようにしてもらえた」というようなものです。

この方は、きっと良い車椅子より、自分の足で歩ける方がきっと何よりも嬉しかったはずですよね。もっと自由を感じたはずです。

自分にはそれしかないと思うと、その中で願い事を考えてしまうんですね。でも宇宙はもっと大きなビジョンを見ています。最高のものを私たちに望んでくれています。

私たちが願う願いというのは、制限を感じている中での願いということがほとんどなんですよね。

だから、自分には不足があるということや、不自由なことが前提で何かを願います。

委ねるということはもっと大きな視点にお任せするということ。

委ねるとは思考レベルの自分(自我)は自分にとって何がベストかわかっていませんということを認め、自我を超えた全てを見通せる全知全能の力を信頼します。という意味です。

自分にとって一番良いものを受け取ります。という意味です。

 

私は学生の頃、友達の中に好きな人がいて「この友人とお付き合いしたい」と願っていたことがあったんですね、でもある時、頑張ることやしがみつくことに疲れてしまったんですね、それで「委ねよう」と思ったんです。この時は委ねるという言葉を使いませんでしたが、パートナーになる人なら与えてください。違うなら諦めます。という願い方だったと思います。友達でもいいや、付き合うとかどういう関係かとかそういうことにこだわるよりも、その人と関わること自体を楽しもう、そして自分の日々の生活を楽しもうと。

そうしたら、その後すぐ相手からお付き合いの申し込みともに「結婚したい」と言われたんですね。付き合いたいと言われるよりも、生涯を共にしたいと言われる方が私にとってはとても幸せなことでした。

また、私の知人はある取引で500万円欲しい、と天にお願いしたのですが、ストレスが強かったため、ある時から「全体の調和と関わる全ての人にとっての平和をお願いします」「心の平安が大切です、結果は天に委ねます」と祈り、手紙を書き、委ねたんですね。

その後、彼に入ってきたのは4000万円でした。

諦めるどころか、自分では思ってもみなかった嬉しいことを受け取ったんです。

毎回、それを上回る金額がもらえる、毎回好きな人からプロポーズされるわけではないと思いますが、委ねるというのは幸せを諦めることとは全く違うんですよね。

私が以前飼っていた愛犬が病気になった時、お祈りして神の手に委ねましたが、天に召されました。

絶対に今のこの子でないとダメ。生きて欲しい。というお祈りではなく、「この子の辛さを和らげてください。助かるなら助けて欲しいけれど私たちにとってのベストをお願いします」と委ねたら天に召されたんですね。

その時は本当に辛かったのですが、その後すぐ、元気なワンちゃんが私の家にやってきました。色々な不思議な出来事もあり、この子は以前の子の生まれ変わりだと思っています。

お散歩もろくにいけず、身体も自由にできず、病気になり大好きなものも食べられない状態でなんとかお祈りで生き延びてもらうよりも、私にとってもワンちゃんにとっても長い目で見ればベストだったと思います。

実は、このワンちゃんには獣医さんたちも手を焼くほどの深刻な噛み癖があり、口輪が必要だったり、他の人たちを噛むことが心配で行ける場所も限られていたんですね。

現在は元気な体に生まれ変わり、噛み癖も全くなく、出会う人たちに愛され、子供たちにも人気でみんなに撫でてもらい、美味しいものをいっぱい食べて、いろんなところに一緒にお出かけして楽しい生活を送っています。

 

奇跡のコースをはじめ多くのスピリチュアリティの世界観では、

人生には良いことしか起こらない。

といいます。(ポジティブシンキングとは別のレベルのお話です)

どんな道のりを通ったとしても、私たち誰もに幸せは保障されているのです。

 

委ねると

自分や周りの人にとって幸せな結果

しかやってきません。

エゴは本当はそれが怖いから、自分でなんとかしてやりくりして予測がつく範囲で安心していたいと思うのです。コントロールを握っていたいんです。

そのため、「委ねる」という気持ちになれるまでは自分で色々なことを試したり、頑張れるだけ頑張り、踏ん張り、疲れ切って底地に行かなければ無理な場合も多いです。(依存症の治療などでは、依存しているものとの間で底つき体験をしなければ本当には変われないといいます)

それだけ、エゴは執着が強いんですね。不安だし、本当の意味で幸せになるのが怖いんです。

サレンダー(降伏)できるまで頑張ってやるだけやってみる。自分のやり方でやりきる。エゴのやり方でもいいからとにかくやって、試して、執着し尽くす。というのも実は委ねるために必要な道のりだったりします。

天使やスピリットのガイダンスというのはほとんどの場合「委ねなさい」と言ったとしても、「あなたのやっているそれをやめなさい」とはあまり言わないんですよね。むしろやめられないのなら「どうぞ気がすむまでおやりなさい」と自由意志を尊重してくれます。

それは、そのエゴの怖れに根ざしたやり方でもあなたの欲しいものを手にできますよ。と言っているわけではなく「今、あなたがそうしたいと思う気持ちを尊重します」という意味なんですね。

私たちの内面はスピリットですから、どのみち、そのスピリット(本質)を生きられるよう自然に運ばれていきます。もしも、自分の本質にそれた道を歩み続けていたり、自分の本心に嘘をつくような生き方をしていれば、何かしらのトラブルや不具合を通して、人生そのものが自分に教えてくれます。

いつか、それが続けられなくなる時がきます。これも天からの愛です。

ですから、委ねる勇気がなくても、とにかく自分でやりたいように納得いくまでやってもある意味大丈夫なんですね。

自分で選択して、自分でやりたいように生きて、そしてその責任は自分で取る。

それが間違っているように思えても、周りから反対されても、やりたかったらやってみる。

誰かから言われて失敗を回避するよりも、自分で選んだ道で失敗を経験して、内側から発せられるどんなサインを無視してはいけないのか、どんな感覚こそ信頼したらいいのか、そう言ったことが少しずつわかるようになるんですね。それは別の意味では成功です。

それがスピリチュアルの世界で言う「その人にとっての必要な学び」ということなんですね。

そんなわけで、委ねるのが苦手であれば、無理して委ねる必要もないと思います。委ねられない自分を責めるくらいなら、

自分の責任でとことん自分のやり方でやり尽くす。

その方向からの道のりもまた、時間はかかっても幸せな道に続いていきます。

ちなみに・・・

スピリットに委ねるとは、

高速ジェットで目的地まで運んでもらえるようなもの。

と表現されることもあります。

その目的地は?

幸せです。