人生は山登りではなく川下り

お坊さんのお説教のようなタイトルですね (笑)

けれど、すでに、このことに気づいている方も多いのではないでしょうか?

なぜ、私の人生には本物のゴールに到達したと思える瞬間がやってこないのだろうか?と思っていませんか?

私が大学に入った時、それはそれはとても嬉しかったことを覚えています。というのも、小学生の時に入りたいと思っていた学校だったからです。

しかし、大学一年生の夏休みには、他の大学に編入するため、すでに塾に通い始めていたのです。

今の状況には満足できず、次の登頂を目指していたというわけです。

私たちのマインドというのは常に目標やゴールを設定しては、それを追いかけ続けています。

皆さんもきっとそんなご経験があると思います。

こうなれたらいいなぁ。

そして、そのために努力をして頑張る。

でも、それを手にして嬉しいと思ったのもつかの間、もっと欲しいものを見つけてしまう。または、手にしたものの欠点が目につくようになり、それは欲しいものではなかったことに気がつく。

または、自分は満足していたはずなのに、その程度で満足してるの?と言わんばかりの言葉を外から聞いてしまい、自分の手にしているものの価値を認められなくなってしまう。

私たちの多くはこうしたことを繰り返して生きて、いつもいつも不満足、どこか足りないという人生を送っていますし、いつも自分は準備中、頑張り疲れている、そんな人生を歩んでいるように思いませんか。

 

外側の何かを手に入れられたら、自分はやっと幸せになれるだろう。

自分の考えている、その完璧な形を手に入れたら幸せになるだろう。

というのは全くもって幻想にすぎないんですよね。

それを体験してきたのにも関わらず、私たちのほとんどはマインドの罠にかかり、いつも何かを外側に求め続けて、幸せを先延ばしにしているんです。

 

というのも、私たちのエゴは「今」が怖いんですね。

瞑想が習慣的になっている方ならご存知の通り、「今」という瞬間には言葉では言い表せない豊潤さが漂い、永遠の中に溶け込んでいき、自我を失ってしまう感覚があるんですよね。

完璧な安らぎと、恍惚がそこにはあるんです。

私たちの人生の今、この場所には目に見えている以上のことが起こっていて、私たちの「本当の部分は」今、とても満足しているんです。

でも、エゴはそれが怖いんですね。

もし、今、ここが完璧で、他に何もいらないとしたら。全てを持っているとしたら、何をして生きていけばいいの?と思ってしまうんですよね。

自分が消えていってしまうような怖さがあるんです。

エゴは、だからこそいつもいつも目先にニンジンをぶら下げて、私たちを目標達成に駆り立てているんですね。

 

中には、今、幸せで満足しています。

とおっしゃる方もいると思います。

きっと、それは欲しかった何かを手に入れられたから、理想が実現したからという理由よりも今、目の前にあるものや自分の元にやってきたものを受け入れて楽しめているからという理由の方が多いのではないでしょうか。

 

人生において、何か自分は「こうならなければならない」それ以外は失敗、それ以外では満足しない、幸せになれない。

そう決めてしまうと、しんどいし、辛いですよね。

 

山登りの人生がいけない、という意味ではなく、もしもいつも目標達成、願望実現で疲れてしまっていたり、今を楽しむ余裕すらなくなっているとするのなら、そうでないやり方もあるんです。ということなんです。

 

山登りのような生き方をしなくても、川下りでも目的地にたどり着くということです。

目標だけを見据えて、それ以外の時間は全て準備期間、不完全な自分、不完全な日々。

そういう生き方ではなくて、目の前にめぐり来ることを味わって、その景色を楽しみながら、ゴールにいつの間にか着いていた。というやり方もあるということです。

今日を、いつかのための準備の日にしないでちゃんと生きること。内側に息づく生命力を感じていること。

 

エイブラハムの話す「引き寄せの法則」が言っているのも、そういうことなんですよね。