私たちの多くは、もう小さな頃からずっと不平不満を感じたり、話したりすることに慣れています。
本当にとても小さな頃から、「こんなの食べたくない」とか、「あんなの嫌」とか、「あの人のああいうところが許せない」とか「こんなのおかしい」とか、本当に一番得意なんじゃないかと思うほど、不平不満を感じて、それを表現するんですよね。
不平不満をやめなさい、なんて聞かされるとまるでお坊さんの説教を聞いている気分になりますし、はいはい、また感謝の話ね!のようにスピリチュアルに興味のある人でも思わず心を閉ざしたくなってしまう人も多いかもしれません。
私自身がスピリチュアルなことをずっと学んできて、なぜ、不平不満をやめる方が「自分のために」有益なのかということが明確にわかった経験がありました。
ちなみに不平不満を辞書で調べると、
「思うとおりにならずに、満たされずに気持ちが落ち着かない様子」
などのように書かれています。
とにかく、その状況をそのまま受け入れられない。ということですよね。
さて、私たち誰もの得意技(笑)「不平不満」をなぜやめた方が良いのか・・・
それは、あらゆる不平不満というのは、
自分自身をジャッジし、裁いているのと同じことだからです。
外の世界に対しての不平不満というのは、自分への攻撃ということなんですね。
脳は、他の人たちや状況に対しての不平不満を、自分に対して言っているのと同じように解釈し、
さらに、そんな自分は幸せになってはいけない。
と解釈してしまうんです。
そんな不完全で、不快な自分は幸せになってはならない、豊かになってはならない、優しくしてもらってはならない、愛されてはならない・・・
そんな風に、不平不満を言う自分に罰を与え続けてしまうんです。
決して幸せになんてなってはいけない。
満たされてはいけない。
そんな風に、不平不満は自分自身に対しての攻撃になってしまうんですね。
だから、不平不満を言ってはいけないと言うのは、
道徳的にとか、マナーとか、愛じゃないからとか、スピリチュアルじゃないから(笑)とか、そう言う理由からではなく、不平不満は自分自身に対しての攻撃だからなんですね。私たちの脳が、自他の区別ができないからです。
あの人のあんなところが嫌、と心が感じる時、自分に対しても、あんなことやってはいけない、あんなことをする自分は愛されない。愛されてはならない。とそんな風に自分に制限と罰を与えてしまうんですね。
そういう意味で言えば、不平不満をそれでも言いたければそのデメリットを知った上で続けてもいいのかもしれません。
私たちの思考回路というのは不平不満のカセットテープを流すことに慣れていますから、ただ、流れてきたと思ったら「やめる」という選択をすることの繰り返しで、心の中がクリアになっていきます。
外側に見えるあらゆることに対して、政治やら、時事やら、友人、家族、同僚、店員、何よりも自分、に対するネガティブな内容のカセットテープが流れてきたなと思ったら、
自分は自分に対する攻撃を続けたいのか?
と自分に問い直すことができます。
私たちの中のエゴは、それでも今や過去の不満をぐずぐずと心の中で繰り返すことを選ぼうとするかもしれません。でも、それはエゴの罠なんですよね。エゴの目的は、満たされない不十分で不幸な自分でいさせることです。
ある特定の人に対しての不平不満をやめると、その人は愛を表現しはじめてくれます。豊かさを与えてくれるようになることもあります。
あるクライアントさんは、いつも不機嫌で、ことあるごとに色々と指摘してくる上司に対して、心の中でジャッジすることをやめ、上司に協力しようと思っただけで、逆にその上司が自分の仕事に協力してくれるようになったと話してくれました。
心の中で語る不平不満をやめることで、その人が「本当の姿」を見せてくれるようになるんですね。人の「本当の姿」とは愛ですよね。
相手に対するジャッジメントをやめると、相手が演じている「ダメな人」という仮面を外してあげることができるんですね。
不平不満を(心の中だけでも)語ると、その人もその状況も自分が不満を感じる姿でいるしかなくなってしまうんです。でも、自分が不平不満をやめるだけで、自分の心は元々の愛の状態に戻っていくんですね。そうすると、外側に見えてくる世界、人たちというのも愛を表現する以外なくなっていくんですね。
不平不満が湧き上がってきたら・・・
自分は自分を攻撃したい?これから先もこれを続けたい?不幸でいたい?
と問いかけてみてください。
そして、できる方は、
不平不満を感じる状況がなかったら自分はどうしているか。
その姿勢を先取りすることで、望む状況を創り出すことができます。
例えば、現在、関係の良くない上司がいるとして、いつも関係がギスギスしているとすれば、その上司がもし、自分を認めてくれているとしたら、自分を応援してくれているとしたら、自分はどんな気持ちでいるだろう?何をするだろう?と思い巡らせてみてください。
すると、上司を信頼できると感じていたり、この人のアドバイスなら聞いてもいい。サポートしたい。頼りたい。と感じるかもしれません。心の中にあった、自分の方が上司よりも優れているという傲慢さが消えているかもしれません。
ぜひ、それを先取りしてみてください。
その上司を信頼し、アドバイスを素直に聞いてみたり、頼ってみるといいんですね。愛を受け取ってみるということです。上司と競争したり、自分の方が優れているとか、そういうエゴの思いを手放し、何か一つでも自分にはできないことでも、上司にはできる部分を見つけて上司を認めてみます。心の中でだけでも十分です。すると、その上司は本当に自分を認めてくれるようになったり、優しくなったりします。もしも、それが叶わなくても、その上司が異動したり、自分が異動になるなど、不平不満を感じなければならないような人は離れていきます。
自分の心にはそれほどの力がある、自分には無限の可能性がある。とはそのことなんですね。
つまり、世界やあらゆる人やことに対しての、不平不満をやめる、ということは、
なんの不満もない幸せで、安らかで、満たされた世界を先取りする
ということなんですね。
まず、自分が不平不満をやめることで、「自分は今、満足しています」と言う波動を発し、その波動と同じように満たされた世界を見ることができるということなんです。
自分の心にはそれほどの力がある、自分には無限の可能性がある。とはそのことなんですね。