私たちは何かある度に、
どうしたらいい?
どうしたら成功できる?
どうしたらこれを解決できる?
どうしたら手に入れることができる?
そんな風に、考えると思います。
でも、実は「どうするか」という行動というのは原因にはならないんです。
どういうことかというと、何かをする、「DO」というのは、すでに結果なので、それ自体が何かを生み出すことはないということです。
私たちは、
〜をすると〜を手に入れられる。
〜をすると〜を解決できる。
そんな風に、自分が行動することと結果に因果関係があるとずっと思ってきたと思います。
例えば、自分が仕事を頑張ったから昇進した。と思っていたり、自分が頑張らなかったから昇進できなかったとか考えてきたんですよね。
でも、行動そのものを自分でコントロールできていると思い込んできたけれどできていなかったし、行動そのもので人生を変えようとしてきたけれど、それは機能していなかったということです。
このことが、「心」にしか力がないという意味です。
「する」こと、というのはすでに、心の結果なんです。
つまり、何をするか、しないかということも心によって決まるし、その心によってどんな行動を取るかは決まるということなんですよね。
そう考えると、やる気が出ない、やりたくてもできない、モチベーションが続かない、そうしたことも、納得できますし、自分が特別にダメだからできないんだとか、そんなことを思わなくていいということです。
その代わりに、そもそも自分が自分をダメだとジャッジしていなかったか、もしそうであるのならそのジャッジを手放せるようスピリットに助けを求めた方がいいかもしれません。
私たちの世界にはどうしたら〜が手に入るか?というハウツウで溢れていますが、自我のどんな「行動」にも結果を左右する力がないということを思い出すことで、心のパワーを取り戻すことができるんです。
だからこそ、愛(スピリットや神)が招き入れられている心がアクションを起こす必要があるんですね。
怖れを動機として行動しはじめることは、どのような行動をとろうとも、どのような異なる行動をとろうとも、結果は分離や怖れ、欠乏や罪悪感だということです。なぜなら、怖れの心をそのまま世界に投影して知覚するだけだからです。
ちなみに、怖れには「自分」(自我)の才能や能力に頼って解決しよう、手に入れようとすることも入るんです。このことは気づきにくいですよね。
自我、それ自体がエゴ、つまり怖れだからですね。
では、奇跡のコースやスピリチュアルをするのもエゴからではないか?学ぶことで何かを得られると思っているのだけれど・・・と疑問がわく方もいるかもしれません。
もし、コースのレッスンなどを「自我」に何かを付け加えるためだけにするとすれば、確かにエゴかもしれません。もっと自我を良くしようとするために、スピリットと繋がらずに行うのなら違う方向に行く可能性もあるかもしれません。
それでも、コースを通してスピリットと繋がるようになると、その意図(心)は修正されていくはずです。
コースを実践していくうちに、少しずつ心が正されて、身体の自分の人生を自我でなんとかしないといけないと思っていたところから、真の自分(愛)を生きたいという願いに変わっていくのだと思います。
どうしたらいい?と思った時、悩んだときは
行動ではなく、心の置き場所が大切なことを思い出したいですし、その心を正すことができるのは、自我ではなくスピリットなのだと忘れずにいたいです。