「自分を変えようとしなくていい」の意味とは?

スピリチュアルや癒し系のメッセージの中には「変わろうとしなくていい」「自分を変えようとしなくていい」というメッセージがよくありますよね。

自分をなんとかしよう、自分を変えなければならないと苦しんでいる人が多くいるからかもしれません。

「このままの自分では愛されない」

と思っている人が多いからなんですよね。

変わらなくていい。そのままのあなたで十分というのは、そんな方へのメッセージなんですよね。

この変わらなくていいは

「もっといい自分」にならなくてもいい。という意味です。

もっとできる自分になる必要はない。もっと世の中で戦うための武器を集める必要はない。愛されるために幸せになるために、もっと市場価値を高める必要はない。

そういう意味です。

幸せになるためにそういったことは必要ない。そういう意味です。

そして、その本質、根底にあるのは、

「これ以上自分自身と闘うことはしないように」というメッセージなのです。

 

愛されるために自分を一生懸命変えようとしたり、自分をせきたてたりするのはある意味、自己攻撃なんですよね。自分と闘っているんです。

自分を変えようとしてくる人に誰もが抵抗を感じるのは、今の自分を否定されているように感じるからなんですね。

でも、それは内側の投影なんですね。

自分がこのままの自分では愛されないと思っているから、自分が自分を一生懸命変えようとしていて、その自己否定を外側の人を使って自分にさせてしまうんですね。

やはりこの世界はどこまでも自分との関わりが投影されていく世界なんですよね。

 

自分を変えようとすればするほど、自己否定の方が具現化していく。

自己否定が投影された欠けているように見える世界がつくられていく。

それは「足りない自分をなんとかしなければ」という動機からスタートしているからなんですね。

 

自分を変えようとしなくていい。

の本当の意味は、

もう誰かから愛されるためにこれ以上自分自身と闘わなくていい。

そういうメッセージなんですね。

 

同じことをやったとしても、それが「愛される自分になるための努力」なのか「自分が愛するものをただ楽しむために行うこと」なのかによって結果が異なってきます。

例えば、「日本代表のサッカー選手」になりたいと思っている少年は、代表選手になれば女性にモテるし、モデルとも付き合えるとし、みんなに憧れられるし、自分はダメなやつじゃないとやっと証明できる。と思っているとします。それは、サッカーが「道具」になっているんですね。サッカー選手になりたくて多大な努力をしたとしても、それは自分が愛されるための努力なんですよね。サッカーと闘っているんです。この時、発している波動は欠落感や焦りであり、本人は苦しいと思います。(それも一つの体験であり、成長のプロセスとして必要な人もいると思います)

一方、他の少年はサッカーが本当に好きで、ただ上手になりたい。もっとサッカーをしたい。いろんな国のいろんな人たちとサッカーをしたい。そう思って「日本代表選手」になりたいと思っているとします。サッカーは彼にとって「目的」なんです。喜びの源泉なんです。「本当に好きなことをする」とはそういう意味なんですよね。

「本当に好きなことをしているはずなのに人生がうまくいかない」

と嘆く方の多くは前者のパターンです。

恋愛一つとっても、もし、「この素晴らしい人と付き合うことで自分には価値があるとやっと思える」と思って相手を追いかけているとすれば、相手は自分を認めるための「道具」になってしまうんです。

こんな風に追いかけて射とめた相手もまた、自分のことを何かしらの「道具」だと思う人なのです。「この人だったら寂しさを埋めてくれる」とか「お金をくれる」とか、お互いが相手のことを「自分の必要を満たしてくれる道具」と見ているんですね。このような関係がそのままうまくいくことはありません。

どんな物でも、人でも、状況でも、何かを『自分の必要を満たす道具』と見ると苦しみを生みますし、場合によっては憎しみを生み出します。

 

でも、いつからでもやり方を変えることはできます。

もう自分のことを一切証明する必要はないとしたら・・・他人からの愛を必要としないとしたら・・・

それでもしたいことはなんだろう。と考えてみるんです。

自分をなんとかするため、将来の何かの役に立つために何かをするのではなく、

ただ、ずっとやっていたいこと。

なんの役にも立たないかもしれないけれどやりたいこと。

それをただ、自分が喜ぶためだけにするんです。本当に好きなものとの愛を育んでいくんです。そういう生き方にシフトしていくんです。

大好きなことが見つからなくても、美味しいものを食べたり、ゆっくりのんびり寝たり、旅をしたり、その時、その時したいことをして生きるんです。

 

ある方が教えてくれた話です。

ある人がプロボクサーを経てなぜか30歳近くになって彫刻家になりたいと思って東京芸大に入学したそうです。

お腹いっぱいになるほどに掘り続けたい。掘って、掘って、もうずっと掘っていたい。と思っていたそうです。

そして、掘って、掘って、・・・・

気がつけば卒業前から作品の買い手がついていたそうです。

芸術の世界で食べていくことは厳しいと世の中では言われていますが、この方は彫物師になることに自己価値を投影しなかったんですね。

 

私たちは誰もがこの宇宙に肉体を持って遊びや学びに来ている大いなる神の一部(スピリット)です。

神の子はこの宇宙に遊びに来て、いろいろな体験をしにきているのに、

自分がダメじゃないことを証明しないと!!他の人に勝たないと!みんなに愛されないと!

と思う必要があるでしょうか。

自分が神の一部という愛であるのに、すでに万能な存在であるのに、他人から愛されるために努力する必要はあるでしょうか。

自分を証明しようと思うことも、他人よりも優れた人間でいようとすることも、根底にある「無価値感」を強めていくだけなんです。

苦しいのも満たされないのも、自分は無価値であるという嘘を信じて、自分自身と闘い続けるからなんです。

世の中の神話の一つに「他人より優れていなければ選ばれない」というものがあります。

だから、多くの人が狭き門を突破するために小さな頃から熾烈な競争を勝ち抜こうとしてきたんです。

でも、真実は、優れているから選ばれるのでも、勝ち抜いた人だから選ばれるのでもないんです。

その人が提供するサービスでもプレイでも作品でも、それらの発している波動が高いからです。愛や喜びに溢れていて、生命力に溢れるパワーに人は惹き寄せられるんです。

誰もが高い波動に触れることを求めているんです。

愛って気持ちいいじゃないですか。

やりたいことをやって幸せに豊かになるのに、人に勝つ必要も、人と比べて優れている必要も、人を出し抜く必要もありません。

どこまでも自分の中の愛するものへの情熱を突き詰めていけばいいんですね。

他の人と自分を比べさせるというのは、エゴの罠なんです。本当は自分の中にある愛するものへの愛を大切に温めていけばいいだけなのに、外に気をそらしてそれすらさせないようにしてしまうんです。

自分を変えなくても、幸せになれるんです。