「形」を求める思い

私たちは、例えば「パートナーが欲しい」とか、「結婚がしたい」とか、「年収1000万円欲しいとか」「作家になりたい」とか、何か「形」を求めますよね。

よく、昔から聞くセリフに「結婚なんて紙切れ一枚だ」という言葉がありますが、形というのは後からついてくるもので、まずはそこにそういうエネルギーや場というものがあるんですよね。

引き寄せの法則って、まさにそのことですもんね。

エネルギーが「形」になるって。

 

最近、未婚の友人と話していて、最近知り合ったばかりの女性のことを話してくれたのですが、全然趣味とかラインのやりとりのタイミングなどが噛み合わないので、誘われれば友人として遊びに行くかもしれないけれど付き合うことはない、と話していました。

なので、この彼にパートナーができるとすれば、ラインのタイミングとか、会話の感じとか、フィーリングが合うとか、遊んでいて楽しいとか、そんな風に自分にとって、しっくりくる感じがあるところに、後から「お互いを恋人同士と認めましょう」みたいな形がやってくるんですよね。

あらゆることというのは、こんな風に、自分にとって心地よかったり、楽しかったり、自然だと感じるところに、そこにあえて名前をつけるとすればなんて呼ぶだろう・・・みたいになるのではないかって思うんですよね。

 

そう考えると、作家になりたい人は、作家になりたいからとかではなく、書くことが楽しいから文章を書いてしまうだろうし、癒し手になりたい人はやっぱりいつもどこかで誰かをサポートしたり助けているだろうし、パートナーが欲しい人は人と関わって楽しく過ごしたり、互いをサポートする時間が大切だと思ってそうしているはずなんですよね。

 

でも、私たちの頭というのは、そうであるべき姿、というのを思い描いて、そうなれれば幸せなはずだし、自分をオッケーだと思える、自分は安全だと感じられる・・・みたいなことを考えます。

だから、自分のペースで過ごすことや親が大切なのに、結婚していないと恥ずかしいとか、人から変に思われるとかでパートナーを作ったり、お金の不安から結婚したりすると、心で感じていることと外側とが不一致だから、心が苦しくなるし、その苦しさのエネルギーがそういう体験を創ったりするんですよね。

一流企業とか、いい資格とか、肩書きとか、そういう形を先に求める心というのは、怖れに満ちているし、不安だし、自分は足りないと思っていることが多いんですね。

それがいけないことでもないし、ダメなことでもないし、誰でもそういう気持ちになることはあると思うのですが、やっぱり、自分の心地よさや楽しさや自然さと、求める「形」の間にギャップがあると、無理して手に入れても自分が苦しいだけだし続かないんですよね。

なので、ある意味、今いる場所というのは頭では「こんなところは自分の場所じゃない」と思っていても、どこか気楽さというか、自然さというか、そういう感じもあると思うんですよね。

自分は、こんなことしていてはいけないのではとか、人に劣っているとか、そういう罪悪感を頭で考えると持ってしまうけれど、でもどこか自分にとって心地よさがあるのなら、それに対して社会の基準とか、善悪の基準とかを当てはめて「罪悪感や葛藤」を持ったりしなくてよくて、なぜなら、神は無条件だから・・・とりあえず、まずは「心地いい部分」に焦点を当てて、自分は今のこの状況の中に心地よさを感じているんだという正直な気持ちを認めてしまえば、そこから次の展開が訪れたりします。

 

今、「ここ」を否定したり批判したり、罪悪感や葛藤を持つと余計に抜けられなくなってしまうんですね。(引き寄せの法則によって)

なので、今の生活の中にある、自然でしっくりきているそこに想いを向けていく、たとえ一部でも、そのエネルギーでいる、その心こそが、求めている「形」を運んできてくれるかもしれません。