自分の人生は自分の好きなように生きていい

自分の人生を自由に生きる。

それは、スピリチュアルな世界に興味を持っている方にとってはおなじみの考えだと思います。

しかし、スピリチュアルに興味のない人たちにとっては「そうは言っても現実はね・・・」「そんなに人生は甘いものじゃない」という反応を示すようなお話なんですよね。

 

人生は自分のものです。

ですから、自分の好きなように生きていいんです。

その代わり、結果は自分の責任で引き受ける必要があるんですね。

 

他の人に迷惑をかけないでと言われてもそれを続けたり、他の人の自由を侵害したり、自分の人生の責任を他人に取らせたりしない限り、自由に生きていいと思います。

他の人に迷惑をかけていないと思っていても、自分ではちゃんとやっていると思っていても、人に迷惑がかからないことというのは実はあまりないですし、誰も完璧になんてできないのだから、そういうことはあまり気にしすぎずに自由に自分の人生の選択をして、自分の人生を生きていいんですよね。

 

同じように、他人の人生は他の人のものです。

ですから、彼らが自由に生きる権利を認める必要があります。

その代わり、誰かの人生の責任を負う必要はありません。

 

以前、アドラーの「嫌われる勇気」という本がベストセラーになりましたが、そこには、

自由に生きるとは嫌われること。

と書いてあったように思います。

 

何らかの事情で自由に生きてこれなかった人は、自由に生きる人、自由な選択をする人に対して「羨ましい」「許せない」という気持ちを持ちがちなんですよね。(自分も自由に生きたいという心の叫びがあるのです)

以前、お笑い芸人・絵本(えんとつ町のプペル)作家の西野亮廣さんはこんなことをブログに書いていたことがありました。

 

自分の人生を自分の好きなように生きることを世間は許しません。
何故、わざわざ時間と体力を割いて、自分とは関係のない他人の生き方に難癖をつけるのかが理解できませんでしたが、数年前に合点がいきました。

それは
「俺も折り合いをつけたのだから、お前も折り合いをつけろよ」
という”折り合いの強要”で、つまり、
「早く諦めてくれよ。自分の人生を好きに生きられることが証明されてしまうと、それを諦めた自分がバカみたいじゃないか」
です。
そんな「知ったこっちゃねーよ」な都合が、批判となって、多数決で正論となって、のしかかってきているのだと。

 

豊かに自由に生き、スピリチュアルな本を書いている人気の著者たちがたまに批判されていたりしますが、例えば心屋仁之助さんとか・・・どこで何をしていても自由に生きると何かしら抵抗勢力というのが生まれてしまうのかもしれません。

でも、アドラー曰く、「自由に生きることは嫌われること。」

人に好かれたい、みんなに愛されたいと思いながら自由に生きることはできないのかもしれません。

それでも、自分が自由に生きること以上に大切なものなどあるでしょうか。

自分の本当にしたいことをしたり、大切な夢を生きること以上に大切なものなどあるでしょうか。

自由に生きていない人に嫌われることをいとわずに、自分を自由にさせてあげたいです。

不自由な人に合わせて自分も不自由に生き、二人の人間が不自由になっていくよりも、自由に生きて、不自由に生きている人にもその可能性があることを遠くからでも伝えられることの方が世の中を自由にすることに役立ちます。