他の人と比べてしまう時に思い出したいこと

つい最近、誰かがテレビか何かでこんなことを話していたのを聞きました。

「人は平等ではない。」

確かに。

平等であるべきだけれども、実際は平等ではないよって思う人がすごく多いと思います。

家柄とか、育った家庭環境だとか、身長や顔立ちだとか、スポーツや勉強などの能力だとか・・・

思うことってありますよね。

 

でも、それは平等であるかないかということではなくて、人は全く同じようには造られていない。という事なだけだと思うんです。

 

私たちはやっぱりみんな平等で、それはどんな風に平等かというと、必ずその人にはその人だけの才能(その人だけの能力)があって、その部分にアクセスしてそれを生きれば、お金も人間関係もパートナーシップも、仕事もうまくいくようになっているという意味で平等だという事です。

かっこいい人もいれば、カッコ良いとは言えない人がいるけれど、どちらもパートナーと本当に幸せになれるし、背が低い人もいれば背が低くない人もいて、そのどちらの人も自分らしく働ける仕事について輝くことはできるという意味です。

大変な家庭環境で育った方とかは、癒し系のお仕事の方に多いですが、そういった方は、やっぱりその大変な経験そのものが、天職(その人だけの才能)に導いていったと考えると、平等だと思うんですね。

 

多分、今いるところに満足をしていたら、不平等に見えた全ての事が自分を正しい場所に運んでくれたと逆にありがたく感じられるはずのような気がするんです。

 

ということは、自分を誰かと比べてしまう時、

自分を生きられていない。(魂の望みを生きていない)

ということなのかもしれません。

あの人はあれを持っているけれど、自分は持っていないと思う時、本当にそれが欲しいのか、それがなきゃいけない、それがないと人として一人前じゃないとか思わされてしまっているだけじゃないか?ってよく考えてみると、本当は本当の自分に必要ないものを欲しがっているだけだったりするんですよね。

本当の自分が満足する必要なものというのは、必ず外側の世界に整えられるはずだからです。

 

でも、もうずっと昔からいろんな影響を受けて私たちは生きてきているので、本当の自分が本当に欲しいものって実はわからなかったりするし、欲しくないものを欲しいとか思っていたりするもんなんですよね。メディアとか、親とか、好きな人とか、友達とか・・・そういう影響でそれを手にせねばって思わされているものとか、そう生きなければと思わされていることがほとんどです。

それは例えば、スピリチュアルあるある(笑)の玉ねぎの例ですが、本当に欲しいもの(その人の本当の才能)の情報は玉ねぎの中心にあるのに、何層ものダミーで覆われてしまって、その何層ものダミーを追いかけ続けたり、ダミーにしがみついたり、ダミーに心を奪われているから現在の状況に満足いかないと感じているのかもしれないんです。苦しいのかもしれないのです。

ダミーは手に入っても幸せじゃないし、ダミーはダミーなのでいつかは手放して、本当の自分に届くよう、才能そのものが「不快感や不満足を使って」お知らせするんですよね。

ここは君の場所じゃないよって。

 

なので、人と比べて自分ってダメって思ってしまう時は、人と比べてしまうのは自分が劣っているからとか、自分がダメだからだとかではなく、「本当の自分の才能を発揮していないのかもしれない、自分を完全に活かしきれていないこと、自分を生きられていないこと、それが辛いのかもしれない」と思い直してみると結構そうだったりします。

 

これだけは言えるのは、誰もが100%輝いたり愛されて幸せに満足に生きられるようになっているということです。

 

人と比べて劣等感を感じてしまう時は、自分の思考や感情ではなく、「自分の魂」とつながって自分の魂が本当に望んでいることを知ることがとても大切です。劣等感を埋めるために他の人が持っているいろんなものを求めるのではなくてです。(というのも、思考や感情は過去の経験から作られているからです)

そして、魂が望んでいることを生きるために必要なものは、魂そのものが与えてくれるので、お金がないからとか、年齢とか、容姿とか、学歴とか、経験とか、何かのせいで無理だとか思って諦めなくても大丈夫だということなんですね。そうなるように生まれてきているのでもちろんですが素晴らしい才能も備わっています。

(※魂を内なる神に置き換えて読んでいただいてもOKです。)