今すぐなりたい自分になれる

以前、私のメンターから聞いたのですが、アメリカにはこんな面白い言葉があるそうです。パートナーシップにおいて、

一番幸せなのは自分に合うパートナーと幸せな関係を築いていること

二番目に幸せなのは、一人でいること

一番幸せではないのは、合わないパートナーと不幸な関係を築いていること

 

さて、今日、なぜこのお話を書いたかといえば、これは私たちの人生そのものについても似たようなことが言えるのではないかと思ったんですね。

一番幸せなのは、自分にぴったりあった自分のオリジナルの人生を生きていること、つまり、自分の使命やワクワク、人生の目的を生きていること

二番目に幸せなのは、それなりに現状を受け入れながら生きていること

一番幸せではないのは、自分に合っていない目標や夢を追い続けて格闘しながら生きていること

こんな風に言えるのではないかと思ったんです。

 

そして、本当はすべての人が、一番の幸せを選べるんですね。私たちというのは、一人残らず自分にぴったり合った人生があり、それを生きることによって、努力したり、格闘したり、苦労をしたりせずに、幸せに豊かに、満たされて生きられるんですね。

けれど、本当に自分に合った人生、というのが思いの外わかりにくいんですよね。

それは、知らないうちに人の価値観や世の中の価値観を取り込んで、自分にとっていいものではなく、「世の中ではこんなものが良い」と思われているものを追いかけたり、お金を第一に考えたりして、自分の本当の内側の感覚から生まれる願望を無視してしまうからです。

東大が良い。というのも、本当に誰でもにとって東大に行った方が良いのでしょうか。東大を出れば人生は幸せ。本当にそうでしょうか?

良い大学に行って、一流企業に勤めると幸せになれる。

それは、それがその人にとって一番良い場所である場合であって、例えば、芸術的な表現を好む人にとって本当にぴったりの場所とはいえないかもしれません。

頭では、それさえあれば、そこにさえいれば、安泰。幸せなはず。そう分かったとしても、なんか違う・・・なんか満たされない。

そう感じるのであれば、それは自分のいるべき場所にいないからなんですよね。

 

上に挙げた、三番目の状態、つまり「自分に合っていないものを追いかけ格闘する」というのは、本当に自分に合っていないものを追いかけている場合もありますし、形にこだわりすぎている場合もあると思います。

自分に合っていないというのは、本当の自分と繋がっていないので、何が自分にしっくりくるのか、ぴったりくるのか、そういうことが感覚としてわからずに頭だけで生きていたり、世の中に流されてしまっている状況ですね。誰かを見返したいとか、人に認められるためにとか、そういう時も判断が鈍ります。

また、形にこだわりすぎている場合というのは、子供の頃に「将来何になりたい?」という質問をされてきすぎたこととも繋がりがあると思うんですね。

私たちの多くは将来は「何になりたい?」と聞かれ続けてきていると思うんです。だから、職業で答えるんですね。

プロ野球選手とか、Jリーガーとか、ケーキ屋さんとか、そんな風に答えるんですね。最近では、ユーチューバーとかでしょうか。

でも、「本当は、何がしたい?」なんですよね。

したいことは、その形にならなくてもいつでも誰にでもできますから。

野球をしたい、サッカーしたい、ケーキを焼きたい、お菓子を作りたい、歌を歌いたい、ピアノを弾きたい、映像を撮って配信したい、面白い動画を作りたい。

それなら誰にでも「今」ここに開かれています。

本当は、野球をするための一つの選択肢が野球選手なんです。サッカーをするための一つの選択肢がJリーガーなんです。

でも、いつからか、野球選手や音楽家になれるのは一握りだから自分には無理だとか、食べていけるかどうか考えないといけないからとか、そういう関係ないことが入ってくるんですよね。

それで、本当はしたいのに、やめてしまったりするんです。そういう人に限って「やりたいことはないもない」と思ってしまうんです。

「形」を追うと、焦りや比較を生むんですね。エゴが入り込みやすいんです。

だから、辛くなってしまう。

サッカー選手でないと、サッカーをやる価値がない。とか、ピアニストじゃないからピアノ弾いても意味ないとか、漫画家になれないなら、漫画を描かないとか。

「形」こだわって、その「形」になっていない自分を責めると、創造的な活動をストップしてしまうんですね。それで、鬱っぽくなってしまったり、満たされない気持ちになってしまったりすることもあります。

「形」にこだわるから、自分はまだ準備中で、まだまだな自分なんです。こんな自分は本当の自分ではないのに・・・みたいになってしまうんですよね。

「形」にこだわるから、ここからあちら側(願いが叶った自分)へ行こうとして、いつまでもこちら側(願いが叶っていない自分)にいる人になってしまうんです。

でも、本当は氷の上でダンスし内側にあるものを表現するために、アイススケートがあるように、プロのアイススケーターになるために自分がいるわけではないんですね。

自分は何かの形にはめるわけにいるわけではないんですね。

将来、何かになるために自分というのはここにいるのではなく、自分は自分の中にある、内側にある喜び、ほとばしるものを表現するためにいるんですよね。

 

逆説ですが、「形」を実現した人たちというのは、中身を先に実践していた人たちだと思うんですね。

あちら側とこちら側を区別しなかった人たちです。

例えば、セラピストになりたい、でも自分になんてなれない、自分なんてまだまだだ、まだお金を受け取れないと、そんな風に「建設中の自分」で苦しむのではなく、「他の人を癒す」ということをどこででも行なっていた人だと思うんです。「他の人を励ます」ということを、「形(職業)」としてしなければと思う前に、自然に行なっていた人だと思うんです。

セラピストになっていなくても、「癒す人」であれば、すでにもう願いが叶った世界を生きているんですね。

「形」はいつ来ても、来なくても構いません。その人にとって最もしたい「癒す」ということをしているからです。

そんな風に生きている人には引き寄せの法則によってどんなことが起こるでしょうか・・・・

 

私たちはいつでも、自分を牢獄から出してあげることができます。

ここからあちら側へ行こうとして奮闘努力するのではなく、

あちら側へ行けない自分を責めるのでもなく、

〜になれたら、自分は思い切り遠慮なく〜をできるのに・・・ではなく、

今、思い切りしたいことをここでしたら、もう波動レベルではなりたい自分になってるんですね。

 

「形」にこだわらないことで、すぐに一番幸せな自分になれるんです。

形を目指して奮闘しなくても、自分の最も自然な生き方に応じて後からついてくるものなんですね。

逆に、自然さに反して無理して形だけを手に入れても長続きしないですし、自分もそれを維持するために大変になり、幸せではないんですよね。

だからこそ、「本当の自分で存在している」ということを大切にしていたら、周りというのは自然に一番自分にとっていい形におさまっていくんですね。

今、周りで何も起こっていない、満たされない現実、そうであれば、「本当の自分」を生きていないのかもしれません。

我慢しない、妥協しない、自分に嘘をつかない、期待に応えない、違う自分を演じない。そんな風に少しずつ、本当の自分に近づいていけば、本当の自分にあった周囲が創られます。