つらくなった時は思いだそう

つらい。

そう思う時は、きっと自分が誰だかを忘れてしまっていると思うし、この世界がどんな場所だったかも忘れてしまっている時なんですよね。

もし、今生きている世界が本当にリアルなもので、楽あれば苦ありの、運が悪ければ災害や犯罪に巻き込まれるような、いつも身体を維持するには頑張っていなければいけない、お金を稼ぐには我慢もしなければいけない、緊張感を持って、自分の力だけで人生を切り開かねばならない、そう信じていたら苦しくなるのも当然だと思うんです。

実は最近、面白いものを発見したんですね、2008年くらいに発行された「ホ・オポノポノ」がテーマの本の帯に「未曽有の経済危機をどうやって乗り越えるか」みたいに書いてあって、確かにリーマンショックとかもあったと思うのですが、2020年の今、別に普通にみんな生きていますよね。

今はこれまでにない危機だ、っていつも、いつの時代もニュースは言っているんですよね。

疫病に経済に、それも落ち着かぬうちに水害が、震災が・・・ってそういうのが本当に世界だとしたら、それが世界だと信じていたら、どうしてワクワクしていられるんだろう、と思いますよね。

ヘマをしたら、運が悪ければ自分も大変な人も一巻の終わり。

それが本当だと信じていて、どうして不安なしに生きていけるのでしょうか。

 

それで、「つらい」と感じる時、私たちが思い出さないといけないこと、常日頃から決して忘れてはいけないことというのは、やっぱりこの世界はリアルじゃないということなんですね。

夢の世界なんです。私たちはその夢を見ているんです。

私たちは、どういうわけか、それぞれテーマはあると思いますが、学ぶため?遊ぶため?体験するため?味わうため?にこちらの今、私たちが見ている、こちらの世界に来ているんですね。

私はドラクエみたいなロールプレイングゲームみたいなステージだと思っています。

他にも、自分が作った映画をその中に入って体験している、と考えてもいいかもしれません。

私がまだ本当に小さい時に「母にも父にも子供時代はなく、この人たちは大人のままここに来た」と思った記憶があります。

まさに、主人公の自分がいて、その主人公の父役、母役が私の父や母という見方です。だから、彼らから生まれたというストーリーを自分が作ったということですよね。

 

 

では、夢見る私たちはどこにいるのでしょうか?天国?源?神?そういう完璧で安全な場所が本来の住処で、そこに本当の自分を置いたまま、身体を持ってこの世界を見て、経験しているんです。

 

この感覚を思い出せていない時、もし、自分はこの世界の一人の登場人物に過ぎない、この世界が住処、そう信じ込んでいて、つまり、自分というのはスピリットではなく、身体だと信じていてたら苦しくなるのは当然だと思うんですね。

 

本当は何の心配もいらない。

私たちは死なない。

愛する人たちと離れることは不可能。

何も失わない。

 

それは、私たちがこの世界の住人ではなく、この世界を夢見ているからです。

 

奇跡のコースにはこんなふうに書いてあります。

あなたの姿勢、感情、行為は、あなたが、エゴの声をのみ聞いていることを、よく示しています。(中略)あなたの気分が、誤った選択をしていると告げたら–喜びのないときはつねに誤っている–そんな気分を持つ必要はないのだということを知りなさい。(テキスト4・Ⅳ・1・2、2・2)

 

何でそう言えるの?と思った人もいると思うのですが、

私たちは楽しみたくて、感動を感じたくて、ゲームをしたり映画を観に行ったりするんですよね、そのストーリーがどんなものでも(自分が作ったのでかなり楽しいしドラマティックだし素敵なはず!)楽しい時間なんです。

喜びも悲しみも、ヒヤヒヤっとするのも、不安になるのも、素晴らしい映画にはつきものですよね!

 

それで、その視点から、世界を見ると、世界は自分の中にあると気づくと思うんですよね。

その時、

「この世界は夢だと知った上で」

完全にこの世界に没頭して、お金儲けしたいんだとか、望む分野で一番になりたいんだとか、努力して頑張って、やりたいこと思い切りやりたいんだとか、歴史に名前を残したいとか、どんなことでも好きなことをやってもいいし、

本当の自分(神)が望んでいることに従って、何が起きてくるか観ていきたいそのシナリオを見たい、と思って生きてもどちらでもいいと思うんです。

自分の力でやったという達成感を経験をしてもいいし、自分がやらなくてもすべてやってもらえるという経験をしてもいいと思うんです。

 

色々なことが“つらい”と本当に思いそうになることも、この世界がリアルに思える時もあると思うのですが、でも、絶対的に安全だから、生き残るために生きることや、ダメな自分を何とかしなければという生き方ではなく本当に思い切り生きたいですよね。