スピリチュアルではよく、あなたは完璧な存在です。
そんな風に言いますよね。
そうすると、こんな自分は完璧なんかじゃない、完璧とはほど遠い・・・そんな風に思う方もたくさんいると思います。
それから、完璧じゃないと愛されない、とも思っているかもしれません。
ここには、いろいろなエゴが入り込んで、真実が捻じ曲げられて、そのままその観念が自分の中に忍び込んで、自己否定に繋がっていたりするので、少し整理してみます。
まず、「誰もが完璧」な存在。とは、本当にその通りです。
というのも、スピリチュアルな意味の完璧とは、いわゆる、昔の漫画やドラマの主人公みたいな人という意味ではないからです。
ちなみに、今時の漫画やドラマの主人公というのは、昔と違って文武両道、スタイルが良くて顔もいい、性格もいいとか、神対応できるとか、特別に優秀とか、そういう人ではなく、むしろそういう意味での完璧な人はなぜか脇役です。
最近の主役というのは、どこか、癖があって、すべて揃っているわけではないけれど、その人だけの何かキラリと光るものがあって、それで愛されていたりする気がしませんか?
私たちは一人残らず、本当に、一人残らずです、みんな完璧に創られています。
もし、自分は完璧ではないと思っているとしたら、それは、自分はバイオリンじゃなくて、ファゴットになるべきだ!とか犬じゃなくて猫に生まれるべきだった!とか、何か別のものになるべきだったと「思わされてきた」からではないでしょうか?
私たちという存在、その根源というのは、「愛」という何にでもなれる無限の存在です。「すべて」という存在です。言葉では言い表せないほど広大無辺なエネルギーです。
それが、あえて、自分が一番満たされたと感じ、世の中の人たちと幸せを一番分かち合え、世界をより天国に近い場所にできる、そのために一番役にたつフォルムになって今、ここにいるんです。外見も、性格も、あらゆる特徴もです。
完璧な姿とはそのことです。
例えば、背が低くても、太っていても、顔が細長かったとしても、片腕がなかったとしても何一つ間違っていません。
中卒でも、オタクでも、ゲーマーでも、ニートでも
それも、自分の魂が一番満たされるし、世界に一番貢献できるからその姿としてここにいるんです。
もし、そう感じないとしたら、
こんな自分では幸せになってはいけない。
こんな自分では欲しいものも手に入らない。
そう信じてしまって、その観念を外の世界に見ているからかもしれません。
少し前に、「プレシャス」という映画を見たのですが、主役の方(ガボリー・シディベ)がものすごく身体が大きくふくよかな女優さんだったんですね。そして、お世辞にも私たちがイメージするようなハリウッド女優というお顔立ちでもありません。
けれど、その方は、その作品の主役を演じ、作品は数々の著名な賞をとったそうです。また、その女優さんは、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞の主演女優賞にもノミネートされたりと、とても活躍されているようでした。
ちなみに、この作品はオプラ・ウインフリーが指揮をとり、脇役でマライア・キャリーやレニー・クラヴィッツも出ていました。
この女優さんが、もし、「私はアンジェリーナ・ジョリーやグレース・ケリーのように美人じゃないし、スタイルも良くないし・・・」と思って女優になろうとしなかったり、未だダイエットに励んでいたりしたら、これまでに起きた快挙というのは起きていなかったでしょうし、この作品を見た人たちに大切なメッセージを届けることもできなかったでしょう。
私たちも誰かが言う、誰かが思う、そういう人にならなければ、幸せにもなれないし、やりたいこともできないし、欲しいものを得られないというエゴの声を信じるのではなく、
今、そのままで、その自分だから成功できることがあって、ここにいる。
それに気づく必要があるんです。
賞をとったのが偉いことだとか、それが成功だとか、そうしたことが言いたいわけではなくて、
今、すでに私たちは完璧であり、自分を否定することなく、その完璧さを受け入れればしたいと思っていたことはできるし、本来手にするはずのものも手に入るということです。
幸せになるために、活躍するために、愛されるために、誰かのようになる必要はないどころか、誰かのようにならないといけない、誰かのようになるために努力するというその時間が単に幸せの先延ばしだという事です。
他の誰かのようにならなければ幸せになれないと思っている、幸せになってはいけないと思っている、その自己否定の波動がそのような世界を映し出していただけなんです。
神さま(本当の自分)は、今のあなたとして、意味があって、この世界の今、ここにあなたを創られたんです。
今のあなたが、あなたの最も満足いくことに繋がり、最も世界に貢献できるからです。
いつかではなく、今のあなたです。
今のあなたという姿がこの世界にとって、完璧なんです。
神さまがそう言っているのです、その役割を受け入れることはできるでしょうか。
今の自分を否定しない、というのは神さまの計画(自分の魂の計画)を受け入れると言っている事と同じですよね。
私たちの多くは、本当に長い間、自己否定をし、自分をなんとかしようとして生きてきて、こんな自分じゃなくて誰かのようになれればやっと幸せになれる、誰かが「正しい」と思っているその姿になれれば、みんなに愛される、認められる自分になれる。そんな風にやってきていると思います。
けれど、実は、この自分でないと、幸せにもなれないし、愛されないし、認められることもない、なんてお笑いですよね!
他の人のようになんてなってはいけなかったなんて、嬉しくないですか?
この自分でよかったんだ。
いえ、この自分じゃなきゃダメだったんだ。
その気づきが、腑に落ちると、
神の意志と自分の意志が一つなのだと、心が一つになるのがわかるでしょうし、そこから見えてくる人生の風景も異なってきます。
今日は、
あなたじゃなきゃダメなんです。
という神の声を。神がどれほどにあなたを求めているのか、それを一緒に聞けたらと思いました。