自分なんてダメだ・・・
自分なんてまだまだだ・・・
自分なんて才能がない・・・
自分なんて大した取り柄もない・・・
そんな風に自分のことを認められないことがありますよね。
昔、私たちのクラスにとても優秀な大学のしかも、滅多に入れない学部からやってきた友人がいました。
彼女は高校の時にはすでに英検の一級も取得しており、英語もできるし、勉強もできるし、論文も書けるし、という素晴らしい子だったんですね。
でも、彼女は自分のことを「この程度で・・・」「自分はダメ」といつも自己卑下していたんですね。
他にも、クラスでとても可愛い子がいて、本当に美人なんですが、彼女に「可愛いよね!」と言うと、「芸能人ほどじゃないよ」と言うんです。(笑)
二人とも、自分は勉強もできるし、美人だと言うことがわかっているんですよね。だからこそ、もっと高いハードルと比べて、自分をたいしたことないと思ってしまうんですね。
優秀だからこそ、綺麗だからこそ、自分はもっといけるってわかってるからこそ、今の自分のことダメだと思ってしまうんですよね。
もう一度言いますね。
優秀だからこそ、綺麗だからこそ、自分をダメだと思ってしまう。
つまり、自分はダメだと思えるというのは、本当は自分が素晴らしいことを心のどこかでわかっているからです。
自分には「ある」ということが、どこかでわかっているからです。
自分をダメだと思ってる時、本当は素晴らしいんです。
自分は好きなことで才能がないと思っている時、その分野では才能があるんです。
そうでなければそもそも、その分野のことで自分なんてダメだって思ったりしないんですよね。
私は、人を笑わせることができないからほんっとダメ人間だ〜とか、本当にリフティングが下手くそで、こんな自分生きてる価値ないよ〜とか思わないんですね。そもそも、お笑いのセンスもなければ、サッカーの才能もないしできないからです。
皆さんも、自分は外科手術が神のようにできないからダメな奴だ!とか、電気工事がテキパキできないから自分には価値がない・・・とか思いませんよね。(笑)
そもそも、できないことについて、
「自分には才能がない」とか思わないんです。
才能というのは、他の人より優れていなければ使ってはいけないというわけではなく、完璧になって初めて披露していいというものでもなく、ただ自分が自分らしく生きるためのものなんですね。
だからこそ、「もっとできる人たくさんいるから自分なんかがやっても・・・」って思わなくてもいいんですよね。
「才能」というのは、それを使って生きることが、自分にとってもっとも自然なことなので、もっと上手くできる人が他にいるとか、もっとすごい人が他にいるとか、そういうのは関係ないんですよね。
自分をダメだと思っている、こんな程度じゃと思っている、その才能を使っていくと、「自分を生きている」という感じが戻ってくると思います。
自分なんてダメ、才能がないのかも、と思うことをする時は、自分にとってそれをすることが自然だからする。他の人と比べて自分が優れているからするわけではない。
と思い出してみてください。
その「才能」で他の人を喜ばせることができるのか、他の人に貢献できるのか、というのは、私たちが決めることではないんですよね。
だから、他の人を喜ばせられるかわからなくても、貢献できるかわからなくても、自然な自分自分をぜひ表現して生きてください。
それから・・・
自分のことを他の人と比べてダメだと思う時も、自分のことを他の人と比べて優れていると思う時も、
本当の能力や才能を発揮しにくくなります。
というのも、他の人と比べて自分をダメだと思っている時と、他の人と比べて自分は優れていると思う時も、どちらもコインの表と裏側だからです。
一番、能力が発揮できるのは、
自分と人は同じ。
そう思えている時です。
あの人よりダメな自分と思う時も、あの人たちよりちょっとはマシな自分と思う時も、能力が制限されてしまうんですね。
自他の間の価値に区別がなくなっていけばいくほど、自分の中にないと思って、他の人に映し出してみている能力というのが内側に統合されていきます。
誰かを崇めて、誰かの方が優れていると思うと、どんどん自分の才能のパイプが細くなっていってしまいますし、自分の方が優れていると思う時、緊張が生まれ、思い切り自分を表現できなくなってしまうんです。
本当はみんな同じ。
そう思うとどうでしょうか。
リラックスする感じがしませんか。
人はみんな同じ。
だからこそ、それは何のためにかはわからないけれど、自分にしか出来ないことがあって、自分はそれをただ表現するだけなんですよね。
みんな同じで優劣がないからこそ、ただ自分を思い切り生きることだけが、できることなんですよね。
私が思うに、一流のアスリートの方たちこそ、そんな風に生きているような気がしています。
大会などでいつも順位はつきますが、いいパフォーマンスをしているとき、実は他の人と競ってはいないと思うんですね、自分ができることだけに集中している気がするんです。
私たちは同じなのだから、自分が今、表現したいと思っていることを遠慮なく、表現して生きる。したいことをして生きる。
そもそも優劣が存在しないので、人より優れた人と思われるために、人に劣らないようにするために、武器を集める、実績を残す、そのために生きるというのは「本当に生きる」ことを先延ばしにしているだけなんですよね。
誰にも劣っていない、ダメじゃない、だから安心してやりたいことをしていていいんですね。