私は神あなたは神

多くの人たちは神と自分とは別々の存在だと思っているのではないでしょうか。

だからこそ、神なんていない、とか、天罰が下るとか、そうした表現をしますし、「神の意図を生きる」といわれるとなんだか息苦しいし、不自由だし、何かを犠牲にしないといけないように感じるんですよね。献身とか、自己犠牲とか、清貧とか・・・そういうことを要求されているように感じる人もいるかもしれません。

 

奇跡のコースには、このようにあります。

 

「私は、神の名を、つまりわたし自身の名を呼びます」

神の名は神聖です。

でも、あなたの名より神聖だということではありません。

神の名を呼ぶとは、ただあなた自身の名を呼ぶということです。

(奇跡のコース レッスン183より)

 

ぶったまげ〜のおったまげ〜ですよね。(←ふわちゃん?平野ノラ?)

本当に。

神様、って自分だったの?って(笑)

 

以前、国際的にご活躍されている講演家のドクター・ディマティーニ博士はこんな風にお話しされていました。

 

数年前に、ケンブリッジ大学の著名な物理学教授とニューヨークで会食していた時のことです。

会話が精神性、神の存在に及びました。

ドクター「神様とはなんだと思いますか?」

教授「我々のすべての研究から見て、神に関する一番良い表現は“”です。光が神の本質を表現するために我々が導き出せた、一番妥当と思われる物質です」教授はそう答えました。

そこで、再び

「それでは人間の意識はどのように説明されますか?」と聞くと

「おそらく“光の副産物”でしょう」

と教授は答えました。

 

つまり、物理学の研究からも、人間は神の一部であるということが説明できるということなんです。

神の意図も、自分がこの地上に肉体を持って生まれる理由も同じということなんですよね。

 

イタリア語で神はDIO(ディオ)と言いますが、わたしはIO(イオ)と言います。

神の中に、ちゃんと「私」がいるんですよ。神と私は一つなんです。

 

今までなんとなくだったかもしれませんし、半信半疑だったかもしれませんが、今度こそ、本当に、本当に「自分が神の現れ」なのだと、そう気がついたら自分の世界で起こっているいろんなことに対する思い方、というのが変わってきますよね。

本当の自分が、あらゆることを知り尽くし、どんなことでも行える「神」だという意識から、今、問題だと感じていることを見てみるとどうでしょうか。

そして、「神の意図を生きる」という時、生まれてから親の期待、世間の期待、制限に満ちた考え方、人に認めさせなければとか、なんだかいろんなことに洗脳されて「小さく」生きてきたけれど、そんな風に生きている自分をやめて、本当に生まれてきた目的を生きます、私はどれほどに素晴らしい存在かを思い出したから、偉大な自己を生きます、与えられるはずのもの全てを受け取ります、全ての良きものに自分は値します・・・というただ、それだけなんです。

 

あ、そうだった、自分ってそもそも神だったんだっけ(笑)と思い出すのが目覚めたということで、神聖な意識に目覚めるというのは、エンライトメント!!!!とか言ってなんだかものすごい体験するってわけでもないんですよね。

自分というのはそもそも神だったんだ、そう気がついて腑に落ちている時は目覚めているし、それをまた忘れて自分は世の中の被害者だとか、誰かの被害者だとか、自分には価値がないとか、自分は欠けているとかそうなっているときは、再び眠ってしまったんだ・・・ということです。

そして、私たちは目覚めていることと眠りを繰り返しながら、徐々に目覚めている時間が長くなり、最終的には眠らなくなるということ、なんですね。