最近、観た時代劇で「あなたが結婚していないのは理想が高いからだってわかったわ!」と言っている場面があったんですね。
それで、そういう言葉というのはどこでも語られていて、どの時代でも言われていたことなのかな・・・なんて思っていました。
パートナーができないと言うのを聞くと、よく多くの人が「理想が高いからだよ」
と、言いますよね。
あなたは理想が高い。
それは本当はどんな意味か、ということについて考えてみたんですね。
それで、理想が高いというのは、例えば人気の職業についていたり、人気者だったり、有名人だったり、賞をとっていたり、学歴や家柄が良かったり、大企業に勤めていたり、背が高い、収入が多い、外見がいい、若いとか、おそらくそういう意味だと思うんですね。
それで、そういう人を求めていると何でパートナーができない、という部分と結びつくのか?ということですよね。
奇跡のコースにはこんな風に書いてあります。
あなたの判断で、あなたの価値をより偉大にするために求めるものはみな、あなたを制限します。 (奇跡のコースワークレッスン128)
いわゆる、多くの人が「理想が高い」と考える人を求めることが、悪いことや恥ずべきことなのではなく、自分には価値がないという想いから、そういった人を求めることで自分を制限してしまうということです。
上に書いたような人たちを自分のものにしたい。という想いがもし、自分というのは不十分だ、自分というものに価値がない、だからそういう人を自分の人生に付け加えれば自分のことをちょっとは認められるようになるのかも、自分のことをやっと人は認めてくれるかも、自分の不足は補われるのかも・・・
そういう面から生まれているとしたら、その想いというのは「自分への攻撃」なわけですよね。それは自分への愛のない想いなんですよね。
自分が不十分、自分には価値がない。
そういう想いからそれを埋めてくれるような人を外の世界に求めているとすれば、そうした想いをより強化していくような状況になるということです。
つまり、うまくいかないような関係になる、ずっと片思いをし続ける、パートナーができない。
というような結果に結びついていく、ということです。
やっぱり、自分はダメなんだ・・・
そういう想いを体験してしまうんです。
また、理想が高いの意味が、異性に完璧なものを求めるという意味であった場合、裏返して言えば、自分に対しても、とても厳しい物差しを持ってみているということにもなるんですよね。
これくらい素晴らしくなければ自分はパートナーを受け取ってはいけない。
こんな程度では幸せになってはいけない。
そんな風に、とても高い基準を自分に求めているんです。
外側に向ける「理想」というのは、同じように自分にも「理想」を持ちますから、多くの場合、自己否定や自己批判が強くなるんですよね。
こんな自分ではパートナーは受け取ってはいけない。
ましてや、理想に描くような素晴らしい人と自分は似つかわしくない。
と心のどこかでは思っているんですよね。
そのギャップがその葛藤が外側に現れるんです。
頭では、素晴らしい人を自分のパートナーにしたい。そう思いながら、心ではこんな自分はそんな素晴らしい人にふさわしくない。
そう思ってしまっているんですよね。
理想が高いからパートナーができない。
そんな時に起きていることは、よく多くの人が思っているように、「理想が高すぎるからそんな人は見つからないし、そんないい人がいてもそういう人にはすでに他のパートナーがいるから無理」ということではないんですね。
こんな人がいいなあ。
そう思うことは何一つ悪いことではないし、どんな人を求めてもいいと思うんです。
ただ、それが「自分には価値がない」「自分は足りない」そうした想いから生まれていないということが重要なんです。
あなたが理想に描く「こんな人がいいなあ」という人が ”持っているもの” というものを、本当は自分自身が欲しいと思っているものではないでしょうか?
有名人をパートナーに迎えたいのは、本当は自分が有名人や人気者、注目を浴びたいからですか?
モデルのような人をパートナーに迎えたいのは、本当は自分がスタイル良く、素敵な外見になりたいからですか?
お金持ちをパートナーに迎えたいのは、本当は自分がお金持ちになりたいからですか?
一途に愛してくれる人をパートナーに迎えたいのは、本当は自分が認められたり、自分を満たしてもらいたいからですか?
もし、そうであるとしたら、外に求めている理想のパートナーというのは、あなたがなるべきものです。
あなたがそうなのです。
外側からそれを自分に付け加えても、今度はそれを失うことを怖れるんですね。
でも、外側の誰かが持っているものは、自分の内側から見いだすことができるものです。
外側に見える、すべての特質はあなたの中にあるものです。
あなたの本質は「すべて」であり、「空」でもあるからです。
もしも、自分が誰かに何かを求めているとしたら、それはすでにあなたのものです。
それを自分の中に見つけてください。
すると、自分の鏡でもある真のパートナーもその特徴を表現するはずです。
パートナ=自分
なんですよね。
自分にはないと思っているものを、外側の誰かに求めるのではなく、誰かに求めるもののエッセンスはすでに内側にあることに気がついてください。
そして、自分にもある。自分は何一つ欠けていない。
そのことに気づいていてください。
自分にはないと思っていたものを、外側に求めていたのに、本当は自分自身が持っていた、そう気づくほどワクワクし喜びを感じることはないと思います。
#理想が高い #パートナーができない