望まれていない気持ちを癒す

自分は人に望まれていない、自分は人に必要とされていない。

多くの人が気づいていてもいなくてもこの思いに苦しめられた経験があるのではないでしょうか。

誰かが成功したと聞いた時、心が疼くのは「あの人はみんなに必要とされているのに自分は必要とされていない」という思いがあるからだし、

友人が結婚すると聞いた時、心が疼くのも「あの子は人に望まれているけれど、私は誰にも望まれない」という思いがあるからですよね。

人の幸せを素直に喜べない時、

その根底にはもしかしたら「自分は望まれていない」「必要とされるような人じゃない」そんな思いがあるかもしれません。

 

癒しに興味を持つ方の多くには、「自分は望まれない」という気持ちが根底にあって、それで苦しい日々を送ってきたかたも多いかもしれません。

他の人に必要とされるために、尽くしすぎてしまったり、ぐっと我慢していい子になってしまったり、便利屋さんのようになってしまったり、嫌なことも引き受け続けたり・・・

素敵で優秀な自分になれば人に望まれると、それこそ涙ぐましい努力を重ねてきたかもしれません。

自分磨きに精を出し続けてきたかもしれません。

または、はじめから諦めて人とは距離を置いて関わったり、気を使いすぎたり、よそよそしく振る舞ったりしていたかもしれません。

望まれていない、という気持ちを感じたくなくて、認めたくなくて、何をされても一人の人を長い間追いかけ続けることもあったかもしれません。

 

私も「自分は望まれない」その思いにずっと長い間苦しんできたように思います。頑張ってやっと望まれるようになったと思っても、それは補償行為なので、自分自身が望まれているのではなく、自分の役割が求められているだけで、代わりになるような人間がいれば、そちらに興味が移ってしまうんだろう、そんな不安に苦しんだこともあります。

 

私が以前、ヒプノセラピーに行くと、繰り返し出てくるシーンがありました。

それは・・・

私が2歳くらいで、母が私を親戚の家に預け、その家で母が恋しくて泣いていると迷惑がられて怒鳴られる。

それが、いつも出てきて、向き合っても向き合っても出てくるシーンだったんですね。

今、思い出すとそれが事実だったかは記憶なのでわかりませんが、それが象徴していた思いというのが、「自分は母にも望まれておらず、親戚にも望まれていない。誰にも望まれていない。迷惑な存在だ。」という思いだったんですね。

 

ビジョン心理学のチャック・スペザーノ博士によれば、

「望まれていないという気持ち」は、典型的に子ども時代から来ます。
そこには、自分は望まれなかったと証明する「ストーリー」があります。

でも実際には、
この人たちが自分を望まなかったと「証明」した自分の方が、
いかにその人たちを望んでいなかったかを隠す方法に過ぎなかったのです。

 

私が、何度も取り組んでもなかなか「望まれていない気持ち」が癒されなかったのは、「自分は望まれていない」ということが事実だと思い込んでいたことと、その架空の「出来事」を癒す必要があると思っていたからなんです。自分の方が望んでいなかったということに気づいていなかったからです。

 

つまりこういうことです・・・

私も含め、きっと多くの人は、例えば母や父の態度や言葉、誰かからのイジメ、離別、見捨て・・・そうしたことを経験したせいで、「自分が他の人から望まれていない」と思い込んでしまった。その人たちの行為が自分に「自分は望まれない人間」だと思わせた。

と解釈してしまいがちなんですね。

けれど、実際に起こっていたことはエゴによって、「先に」自分の方が拒絶したり繋がりを避けたということです。

 

ある、クライアントの男性は、お父さんにお前なんか欲しくなかったと小さい頃に言われたことで今も傷ついている。と話していました。

それからよくよく話を聞いていくと、幼い頃、父が他の子の父親より歳をとっているのがとても嫌だったと話していました。現在でも、自分が歳をとった親になることを怖れているとも話していました。

このお話を聞いた時、チャック博士の話していた、「ストーリーは自分が相手をいかに望んでいなかったかを隠す方法」というのはやはり本当なのだと思いました。

 

ということは、自分が相手を拒絶したり、批判したり、相手を受け入れないということをしない限り、「自分が望まれない」ということはない。

つまり、誰かから望まれない人、というのは本来存在しない。

ということです。なんという嬉しいお知らせでしょう!

 

「自分は望まれない人間」と思い込んでしまっているうちは、気がつかないうちに自滅的な行動をとり続けたり、人を拒絶し、自ら本当の意味での心の繋がりを避けてしまっているため、「自分は望まれない人間」という体験をし続ける。ということです。

ですから、自らのどこかに欠陥があって、他の人たちに劣っていて、人から望まれないわけではなく、「望まれていない」という観念(ストーリー)を見続ける、望まれないという体験をクリエイトし続けるというだけのお話だったんです。

 

自分は望まれない。必要とされていない・・・

そう感じた時、誰でも幾つものストーリーを思い出すと思います。

そして、あの人のせいで、あの出来事のせいで・・・・自分はそう信じてしまった。といつまでもそこから離れられなくなってしまうんですね。

だからあの時の拒絶された時のことをを癒そう・・・と思うと思うんです。

または、必要とされ、望まれるような人になるために努力しよう、自分を変えよう・・・と思うと思うんです。

けれど、そのようなサイクルにいても、ほとんど癒しは起きないか一時的である。ということです。

 

本当に癒すためには、

まずは、望まれていない気持ちに溺れるのをやめる。ということです。

私は誰にも愛されない・・・とか、可哀想な自分・・・とか、なんで自分は・・・とかそういうある意味不幸な生い立ちや境遇を嘆くことに浸りこむ、そういうエゴの先延ばしにはまらないということです。

というのも、望まれていない気持ちというのは、エゴの罠なんですよね。

他の人たちと分かち合い、自分も受け取り、私たちは同じだよね、というそういう繋がりを持つことよりも、望まれていない気持ちを持っていることで、自分は特別でいられる(不幸という意味や苦労してきたという意味で特別とか)、その間は引きこもっていられる、前進せずにいられる、光輝かなくていられる。

そういうエゴの分離の罠なんですよね。

 

まず、エゴの罠であること、そのことに気がつきます。

そして、望まれていないはずがなく、必要とされていないはずがない。

という真実に気がついてください。

 

望まれていなければ、神はあなたをこの場所に派遣していません。

必要とされていなければ、あなたは生命を持ってここにいません。

 

必ず、あなたでなければならない何かがあって、それを他の人たちが必要としていて、あなたも同時に満たされることがあって、ここにいます。

絶対にです。

ですから、「望まれていない気持ち」はそもそも嘘なのです。エゴの罠なのです。

 

そして、あなたが他の人たちを本当に望んで下さい。

これまで、自分の困窮した気持ちや状況をなんとかしてもらうために誰かを必要としたり、足りない自分、足りない愛ををなんとかするために、埋めてもらうために人を求めていたのなら、そのような求め方ではなく、

あなたの魂と、私の魂の繋がりを感じたい。

お互いの完全性や神聖さを、そうだね私たちってそういう素晴らしい存在だったよねと、認めあいたい。

そう望んで、あなたの人生に人を招き入れたい。そう思ってみてください。

 

そして、一番大切なことは

「望まれていない気持ち」を高次の存在(天使、宇宙、神、スピリット)に委ねて、奇跡の道具にしてもらう。癒してもらう。

ということです。

 

あなたはいつも望まれているし、これまでもずっと望まれてきたんですよ。

それが天があなたに伝えたいことですし、そういう経験をたくさん体験させてくれると思います。

怖がらずに、その体験を受け入れてみてください。

 

ここからは蛇足です。

誰か人に会った時に、その人を「怖い」と感じたら、その人を「望んで」みてください。

あなたと私は同じ、一つですよね、魂から、魂にこんにちは。

と心の中でご挨拶を送ってみてください。

相手の中の光を見て、そこにご挨拶を送ってください。

あなたがお相手を望んでいることを知らせてあげてくださいね。