エイブラハム・リンカーンの言葉に
「私たちは自分が得ようと決めただけの幸せを得る」
という言葉があります。
多くの人が、気がついていてもいなくても
自分は幸せになっていいのだろうか?自分は幸せに生きるに値しないのではないか?
という罪悪感や無価値観に根ざした考えを持っています。
この考えを持っていると、無意識のうちに自分の能力を制限したり、幸せになろうとするとそれを壊してしまうような行動を取ってしまいます。
また、幸せになっても今度はそれを失う怖れに直面することを避けるため、初めから欲しいものを持たないようにすることで安心感を感じようとする人たちもいます。
幸せになっても失う怖れを感じたくないがために、悲観主義になり初めから最善を求めることを諦めてしまうのです。
幸せな状況であるにも関わらず、いつも不満を探してしまうのももしかしたら自分に幸せを許せていないからかもしれません。
幸せを受け取る。幸せでいる。
それはシンプルのようであって、実はとても難しいのかもしれません。
奇跡のコースの教師でもあり、2020年アメリカ大統領選挙にも立候補したマリアン・ウイリアムソンは著書「愛への帰還」の中でこんな風に語っています。
私たちが内側でもっとも怖れているのは、何かをうまくできないことなどではなく、私たち自身の果てしない可能性です。
私たちをもっとも怖がらせているのは、私たちの闇ではなく、私たちの光なのです。私たちは自分に言い聞かせます。
「こんな自分が、光り輝く、華麗で、有能で、驚くべき人間になどなれるはずがない」。しかし実際には、誰もがそんな人間になれないはずがないのです。
私たち誰もが光り輝けないはずがないのです。
私たち誰もが幸せになれないはずがないのです。
私たち誰もが幸せに生きるために必要なものを手に入れられないはずがないのです。
自分以外の誰も自分が輝くことや幸せになることを邪魔する者はいないのです。
私たちが過去に何をしたとしてもしなかったとしても、今、何をしていたとしても、していなかったとしても、私たちが幸せに生きることは生まれながらにして持つ権利です。
マリアンはさらにこう語ります。
私たちは、自分の光を輝かせている時、無意識のうちにそれと同じことを誰もが行えるのだということを周囲の人たちに知らしめています。
自分自身を光への怖れから解放することで、私たちは自動的に他の人たちが同じ怖れから彼ら自身を解放するのを手助けすることになるのです。
幸せに、光り輝いて生きることは義務とも言えるかもしれません。
なぜなら、自分が幸せになることは他の誰かの幸せを奪い取るものではなく、むしろ他の人たちが幸せになることを手助けするものだからです。
そして、自分が不幸せな状況では他の人を思いやることはできないからです。
私たち誰もが幸せになるために、光り輝くために生まれてきました。
今日、ここではっきりと自覚してください。
私たちは幸せになるに値します。
これまで何をしたか、しなかったかに関わらずです。
私たち一人一人には、この世界に貢献する価値ある才能を持って生まれてきました。その人だけにしかできない光を持って生まれてきました。
それらを存分に発揮し表現するために生まれてきました。
本当にしたいことをして、幸せになるために生まれてきたのです。