どんな人が成功している?

本屋さんに行くと、たくさんの成功法則の本などが売っていると思います。

自己啓発系やスピリチュアル系の成功セミナーなどもありますよね。

成功、というと夢を叶えて、お金持ちになって、いい車に乗って、大きな家に住んで、公に出て活躍して、海外旅行に頻繁に行って、素晴らしいパートナーを持って・・・

など人によって、いろいろあると思いますが、ワールドクラスのそれこそ羽生結弦選手とか、本田圭佑選手とかはプライベートがわかりませんので除いて、例えば、国内ではうまくいっているとか、大きな舞台で活躍しているとか、影響力があるとか、年商数億円の会社を経営しているとか、そういった人を思った時、

多くの人が思うような「高い基準」に達しているから。

という理由では決してないんですよね。

 

〜で成功するには、こうでなければならない。

夢を叶えるにはこうでなければならない。

ここまでできなければ、きっと成功なんて無理だ。

と多くの人は信じていますが、そんな風にみんないい意味で完璧ではない。ということです。

と言うか、多くの人は自分が欲しいものを手にするためにはここまでにならないととか、ここまでやらないととか、完璧な人間にならないととか、高い基準を設けがちですよね。それが、実はエゴの罠で自分から成功を遠ざけているんですよね。

 

成功するということが、絶対的に素晴らしいこと、といったらそれはどうかわかりませんが、少なくとも公の場で何か表現できる機会を与えられる、というのはそれなりに人の心をつかむことができるからだと思うんですね。

それで、例えば、歌でも、本でも、そういった方の表現するものが、完璧かといったらそうではないし、スピリチュアル系の本を書いている人がみんな精神性が高く、無条件の愛に溢れているかといったら、実際のところそうではないんですね。

これはどんな人も気がついている通り、それぞれの分野で公に出て活躍している人やお金を稼いでいる人たちより無名でもずっと歌や絵がうまい人もいれば、文章を書くのがうまい人もいて、ずっと精神性が高く、愛情深い人もいます。テレビに出ている料理研究家より、美味しいお料理を作るお母さんたちだってたくさんいると思います。

ですから、成功するためにスキルの差、というのは実のところあまり問題ではないんです。成功している人たちは、完璧になってから・・・というのではなく、より高みを目指しながら、その過程の自分に成功を許しているんです。

 

では、何が成功のポイントになるかといえば・・・

私の周りにいる、自分の夢を叶えた人、公で活躍している人たちを見てきて、彼らに共通しているのは、「自分に優しい」ということです。

自分のことをネガティブな特質も含めて受け入れているし、(やたらに自分を責めない)何より自分の利益も考える人たちです。

つまり、自己犠牲的でもありませんし、完璧主義でもありませんし、利他主義でもありません。

成功している人のプライベートの姿を見た人の中で、誰もが思うような「いい人」とか「利他主義」というのは私が見た中ではいません。

人間的な弱さがあっても、それを自分に許せている人たちです。

たくさんお金を稼いでいたり、フォロワーがいたり、人気があったり、活躍していたりする人たちは、それってあまり周りのこと考えていないよね?と一見、思えるような発言や行動をあまり罪悪感を持たずに自分に許している人だったりします。

ありのままを自分に許しているんですよね。

どちらにしろ、誰でもわがままなところはあるし、みんなわがまま、心の思う向くままにしていたいんですよね。

そして、隠そうとしても、わがままというのは出てしまいます。

ですから、成功している人たちは自分中心なのを恥じたり、自分はわがままじゃないと自分に我慢させたりしていないんです。

どちらにしても、みんな人はわがまま(自分の意のままを望む)なので、それを自分に許しながらやるか、自責の念を持ちながらやってしまうかの違いだけなんですね。

(ちなみに、わがままというのは、自分の身体や気持ち、限界を大切にしているという意味で、自分の利益のために人を利用するとか、他人は自分の欲求を満たすためにいるとか、他の人を自分のニーズの犠牲にしてもいいと思っているという意味ではありません。それをしてしまう時は、自分のことを愛しておらず外側に愛を求めて生きるのに必死な時です。)

 

少なくとも、成功している人に他人より自分の方が価値が低い。と見ている人や自分は後でいいと遠慮している人、いい人を無理やりやっている人というのはいないです。

どれだけ、他の人を愛し受け入れられるかは、自分のことをどれだけ愛し受け入れられるかと同じだけの量なんですね、ですから、まずはやっぱり自分なんですよね。

 

それから、成功している人は、自分を他人に譲っていない。

自分が他人の後になっていないんですね。

不幸な人が周りにいても、自分が先に幸せになることを許せている。

これはすごく大事なことなんです。

 

そして、自分にとって大切なことを罪悪感なく大切にしています。

パートナーとか、子供とか、親とか、友達とか・・・多くの人はそういった人たちの気持ちや意向を汲んだり、遠慮したりしてしまうところでも、成功している人たちは自分のしたいことを優先にしていますし、伝える必要があることは我慢したり抑えたりせずに伝える人が多いです。

 

多くの人は「利他主義」が良いことだと思って生きてきていると思うんですね。でも、それもできなくて、自分のことばかり考えるのは悪いことだ、と自分を責めながら、結局、誰のことを考えているのかよくわからず中途半端に生きている人も多いかもしれません。

自分の気持ちより、まず他の人の気持ちを考えましょう、とか、人を傷つけてはいけませんとか、そんな風に小学校の道徳では教わりますし、伝記やドラマなどでも自己犠牲的な人をたたえていますよね。

けれど、利他主義というのは本当に周りのためになっているのか?ということなんです。

利他主義になる根源というのは、多くの場合、罪悪感や無価値感なんですね。

誰かや何かの犠牲になっている人は、必ず、他の誰かを犠牲にしています。

自分を犠牲にする人は、他人も自分のために犠牲になることを期待します。

我慢している人は、他人も我慢して当たり前だと、他人が自由に生きることを許せません。

犠牲も、我慢も怒りがたまり、結局不機嫌になったり、または病になったりして、周りの人に迷惑がかかります。

利他主義は一見、素晴らしいように見えますが、自分がまず犠牲になっている時点で、自分を幸せにできないことに気がつく必要があるんですね。

 

本当に他人のためになることと、自分のためになることは同時に起こります。

一つの自分にとって「真に良きこと」は自分も含めた万人に広がりますし、例えば、自分にとって良くないことも、自分も含めた万人に広がります。

自分が我慢して無理にやっていることは、実のところ誰のためにもなっていません。

誰かの利益も、自分の利益ですし、誰かの損失は自分の損失なんです。

自分が犠牲になるのなら、みんなが犠牲になるんです。

これが、見えていない世界で起こっていることです。

ですから、気がついた人から利他主義、我慢、自己犠牲をやめる必要があるんですね。

 

話を元に戻します。

結局のところ、成功している人たちがなぜ成功しているかといえば、「利他主義」ではなく、自分を大切にして生きることを自分に許しているからということが大きな理由なんです。

つまり、彼らの生き方が成功していて、その成功=他の人の成功になっているから。

だから、成功しているんです。

本当の成功というのは、自分だけの成功ではなくて、みんなの成功なんですね。

自分を本当に愛するというのは、他の人を本当に愛しているということなんです。

 

利他主義、我慢、自己犠牲、をしないと人生がうまくいかない。のではなく、利他主義、我慢、自己犠牲をしているからうまくいかないんです。

利他主義、我慢、自己犠牲は貧困3点セットと言ってもいいかもしれません。お金の面にもかなり悪影響があると思います。

今日は、自己犠牲についていろいろ書いてきましたが、それくらい、世の中の多くの人の中で受け取るより、より多くを与える方が素晴らしいことだ、とか、自分のことよりも他人のことを考える方が素晴らしいことだとか、我慢はいいことだとか、そういう信じ込みがあると思ったからです。

自己犠牲が「悪い」こととか、利他主義が「悪い」ことという意味ではなく、ただ、人のことを考えて我慢していてもうまくいかなかったのなら、もう我慢なんてしなくていい、もっと自分のことを考えていい、というお話でした。

 

まずは、本当の意味で自分のためになることはなんだろう。

自分にとって本当に大切なこと、大切にしたいことはなんだろう。

本当に自分が幸せに感じること、喜びを感じることはなんだろう。

ということについて思い巡らせてみたいですね。