以前、面白い体験をしたことがあります。
あるワークショップに参加した時に、セミナーリーダーが「自分はどこかおかしいと思っている人は手をあげてください」と言ったら、なんと”全員”が手をあげたのです。
多くの人が、自分は根本的に「他の人」とは異なっていてどこか足りないのではないか、何かおかしいのではないか、と怖れながら生きています。
これはどういう意味かというと、誰もが「こうあるべき理想の姿」というものを持っており、誰もそこには到達できていないということです。
自分自身の理想の姿に自分がなることができないということ、そして、自分がそうあって欲しい完璧な人も存在しないということです。
自分や他の人たちに対しての期待や理想が高ければ高いほど、自分はどこかおかしくて欠けているのではないか?と思いがちです。
けれど、「おかしい人が全員」であれば、おかしくない人の方がおかしいということになります。
つまり、まともな人はいないということになりますね (笑)
おかしい人が普通ということは、みんなおかしくないということです。
何か問題が起きると、私たちの多くがしがちな考え方があります。それは、
・自分のどこがいけないのだろう?
・あの人のどこがいけないのだろう?
・私はなぜこんな目に合わなければならないのだろう?
・私はなんで何もかもうまくいかないのだろう?
この考え方はあまりにもお馴染みで、むしろこの質問のどこがいけないのだろう?と思う人もいるかもしれません。
実はこの質問には答えがないのです。なぜならこれは質問ではなく、責任を追及しようとしているだけだからです。責めようとしているだけで解決策を探そうという意図がないのです。
問題が起きているのは、「自分がおかしいから」ではありません。「自分がいけないから」でもありません。
ですから、「自分はこの状況で本当はどうしたいのだろう?」そして、「それを実現するために自分には何ができるだろう?」という質問に変えてみてください。
状況を変えるために「自分を直す」必要はありません。
なぜなら、どこも壊れてなどいないからです。
大切なのはアプローチの仕方です。方法です。考え方です。
これまでとは違うやり方なのです。