誰かの言葉や行動に傷ついてしまった時は

どんな人でもこれまで生きてくる中で、誰かの言葉や行動に「傷ついた」と感じたり、それが原因で臆病になってしまった、そんな風に感じることがあったと思います。

今も、昔の誰かの一言に胸が痛み続けているように感じる方もいるかもしれません。

あんなことがなければ、今頃・・・

こんな自分なのは、あんな風にされたから・・・

そんな風な思いが頭の中をかけめぐることもあるかもしれません。

親の一言、先生の一言、昔のパートナーの一言、裏切り・・・・

数え上げたらきりがないかもしれません。

 

ここで、朗報です!

確かに傷ついたと感じていて、今も実際に私の胸が痛むもの!と思っていたとしても、実は全然傷つけられてなんていません。

傷なんてつきません。

完璧なあなたに傷なんてつけることができる人なんてどこにもいません。

完全無欠の本当のあなたという存在を痛めつける力があるものなどありません。

どこかの誰かが何かを言ったくらいで、あなたの価値が半減することも、素晴らしさが失われることもありません。

誰かがあなたに石ころを投げつけたからといって、ダイヤモンドのようなあなたに傷なんてつけられるはずがないんです。

もしも、今も誰かの言動に傷つけられたと感じていたり、そのせいで自分をダメだと思ってしまった、自分は悪だと思ってしまった、自分は罪深いと思ってしまった、自分には価値がないと思ってしまった・・・

そう思うのなら、そんなことを信じなくていいということに気がついてください。

あなたは誰がなんと言おうと、価値があり、欠けている部分などなく、創造的で、喜びや愛を与え受け取り、世界や他の人たちに幸福をもたらすためにここにいます。

 

確かに、人生には、あなたになんて価値がない。と思わせるような言動を取る人もいれば、あなたには価値がある。と思わせるような言動を取る人もいます。

それなら、どちらを信じるかは自分で決めていいと思いませんか。

どちらを信じてもいいのに、なぜ、自分は自分には価値がないと思いたいのか?自分は欠けていると思いたいのか?

そんな風に自分に問いかけてもいいと思うんですね。

真実は、「あなたは他者の言動によって何も損なわれることはない」ということです。

 

今まで、自分には価値がない。自分はなんの取り柄もなく、他者に劣っている。そう信じてしまっていたのなら、それは嘘だということに気がついてください。

 

ハワイの精神的伝統では、生まれてくる子供はみんな天国の美しさをたたえた「光の器」であると言います。

けれど、生きてくる中で、自分や誰かが恐れや怒り、罪の意識、無価値感という石ころをその光の器の中に放り込み、真の輝きや純真さは覆われていってしまうのです。光の器の中に石があればあるほど、放たれる光は減っていき、最後にはとても細い光線しか漏れてこなくなります。

本来の輝きを取り戻すためには、どこかでもっと光を手に入れようとするのではなく、自分が天国の光の器だったことに気がつくことであり、自分ではない石ころをを手放していくだけなのです。

 

これからの人生の中で、どこからでも自分めがけて石ころが飛んでくる可能性はあるかもしれません。

自分の内側から光を遮るような怖れや自己否定の声がやってくることもあるかもしれません。

それでも、その石ころをよける。という選択も可能なのです。石ころを受け止めなくていいし、ましてや光の器の中に後世大事にとっておくなんてこともしなくていいんです。

そして、こう言いましょう。

「そんな石ころ、私に全然届いていません」と。

 

かつてあなたに向けて石ころ投げた人たちというのは、彼ら自身が自分自身が光の器であったことを忘れてしまって苦しんでいる人たちだったんです。

自分が天国の美しい光の器だと知っていて、輝いている人が他の人に石ころを投げるはずはないんです。

 

どうぞ、光の器であったことを思い出してください。

今も、傷などひとつもついていない美しい光の器であることを忘れずにいてください。