私は不安症

最近、私の師であるアラン・コーエンがこんな話をしていました。

「人間はみんな不安症、偉大な人も、聖人もみんな不安症を持っていた、とラム・ダスは言っていた」

ちなみに、昨年、光に戻っていきましたが、ラム・ダスというのはスティーブ・ジョブズ、マーク・ザッカーバーグに強い影響を与えたグルです。

みんな不安症。

そうです、人間はみんな不安症。

誰かだけが不安症、なわけではなく、みんな不安症なんですね。

人間のエゴはどれも一緒です。

 

同じように、以前、奇跡のコースのティーチャーである、香咲弥須子さんもこんなお話をしていました。

「『私は不安症なんです』と相談されたんです。それで私はこう答えました『私も不安症です』」(笑)

面白いですよね。

 

では、不安じゃないように見える人はなんなんだろう・・・と思いますよね。

あまり気にしなそうな人とか、いますよね。

それこそ、スピリチュアルマスターとか、聖人とかですね。

 

誰もの中に不安症はいるのですが、その不安症とどのように関わっているか、それだけが問題なのかもしれません。

不安に振り回されてしまう時というのは、つまりエゴの語りかけてくる怖れの声をよく聞いてしまっている時なんですよね。

 

こんな例は、どうでしょう。

ちょっと極端ですが、暴力団の方達いますよね。

普通の人たちは怖いな〜って思ってあまりお近づきになりたくない。って思いますよね。

それで、きっと銀行のATMの列とか、スーパーとか、ニトリとか(笑)そういうところで確実にすれ違っているはずなんですが、あまり暴力団の人たちにフォーカスが行っていないからそんなに気にならないんですよね。

でも、暴力団の人が怖い!ってものすごく思っている方だったら、自らどこに行ってもあれはそうじゃないか?あの人っぽいかも!と、いつもヒヤヒヤしているし、そんな風によく目を凝らして探しているから、どこにでも暴力団の人たちがいるじゃん!!って思ってるんですよね。

不安不安でもう、どうしようもないんです・・・となっている時は、もう、暴力団の人と結婚してしまっているようなもんですよね。

四六時中、怖いし、敵がやってこないのか、対立するグループがやってこないのか、警察はやってこないのか、そういう心配まで一緒に抱えて、それを一生やっていこうっていう・・・

そのくらい不安と一緒にいることを選択しているということなんですよね。

今度から不安が強すぎる状態の人を極妻と呼ぼう!(笑)

 

頭の中で鳴っている不安の声というのは、怖いし嫌なんですよね。

だから、すれ違うだけにしておくのか、たまに食事をする程度なのか、それとも、結婚までしてしまうのか、どんな風に付き合っていくかは自分で選べるんですよね。

ちなみに、暴力団の人たちも同じ神聖な神の子だから怖がる必要はない。と思うことも役に立ちますよね。

それは、エゴの声は全部どうせ嘘だよ。と思うのと一緒ですね。

 

みんなが不安症であるのなら、不安がなくならないと前進できないとか、不安が自分の人生の足を引っ張るとか、不安があるといい人生送れないとか、不安があると成功できないとか・・・そういうことは、すべてそうではないということですよね。

不安がそこにあるままでも大丈夫。ということです。

瞑想するブッダの周りであらゆる怖れが踊っていても、ブッダはエゴに見向きもしなかったように、周りに不安があっても、それにとらわれない、ということができるんです。

大切なのは、不安を動機として行動しない。その一点だけです。

不安(怖れ)を動機として言動をスタートさせるのではなく、愛を動機として、愛(スピリット)からスタートするということです。

 

今、コロナを撲滅することを目指すのではなく、共存していくことを目指す。そんな風にみんな受け入れ始めていますよね。

それと同じで、不安があったとしても、不安をなくそうとか、不安がなくなるまで待とうではなく、不安がいつでも周りにあるのは前提で、不安に自分が振り回されるのではなく、不安があっても、自分の人生(愛)を生きる。そういうことなんですよね。

だから、不安と戦わなくていい。

不安が自分に何かしてこれるわけではないのだから。

そういうことなんですね。