昨日、親戚の旅立ちのセレモニーに行ってきました。
年齢を重ねるにつれそのような機会は増えていくと思いますが、少し離れた場所からその光景を見ることは何年振りかの機会でした。
近年、家族や近しい友人が立て続けに旅立ち、自分の寂しさや深い悲しみに浸っているときは全く気がつくことができなかったのですが、今回、セレモニーを行う会場の途轍もない高い波動に驚かされたのです。
パリンッとした一点の曇りもないどこまでも透明で澄んでいる空気、クリアさ、ある種の美しい空気感。
悲しみの渦中にいては気がつくことが出来ないのですが、本当に綺麗な波動が漂っているんですね。
そして、お身体。
その周りに漂う空気は平和とやすらぎそのものなのです。
生という葛藤から完全に解放され愛に還っていったお姿です。
死というものが怖いのはそれを迎えるまでや周りの者にとってだけであり、死を実際に迎えた者にとっては、もはや葛藤や苦しみ、悩みのないただただ大きな愛という平安の源に戻っていく、安堵の時なのだと、感じさせられました。
そして、愛するものを送り出した人たちが「根底」で感じているのは、悲しみという以上に、旅立った人への「無条件の愛」そして「感謝」です。
故人の妻は、最後に一言お別れを・・・と促され
「おつかれさまでした」と語りかけました。
50年以上連れ添ったパートナーへの最後の一言は「おつかれさま」という言葉だったのです。
「人」として生きることの不安や苦悩や葛藤、苦しみ、それら全てから解放され平安で安らかな世界へと戻っていくことを象徴しているかのようにみえました。
嘆くように見えても、その芯にある高い高い愛の波動が愛する故人に関わった人たちに流れていました。
その愛が、そこに集まった人たちを繋ぎました。日常生活以上に優しく繋がる世界がそこにはありました。
愛を失ったように見えるけれど、そこには新たな繋がりが生まれました。
死は、悲しみ以上のもの。
死は、やすらぎと愛への帰還であり愛を呼び覚ますもの。
私たちの誰もが最も恐れているであろう「死」は最も純度の高い愛の体験なのだ。
最も恐れている死という場所は、最も安らぐ場所であり安全であり、繋がりであり、すべての孤独から解放される場所なのだと。
死そのものが問題なのではなく、絶対に死にたくない、なんとしてでも生き残りたいという死と戦う姿勢こそが私たちを苦しめている原因なのだと。
そして、死と戦う姿勢こそが、幸せを最も遠ざけることなのだと。
そんなことを感じさせられ、みなさまとわかち合わずにいられなくなりました。
実はセレモニーの数日前に故人が夢に出てきたのです。
夢の中で「セレモニーには絶対に来なさい」そう言われたような気がました。
「死を怖れることはありません」
そんなメッセージを伝えるためだったのかもしれません・・・
最後までお読みいいただきありがとうございました。