心理セラピー系の本やブログには、満たされない気持ちや劣等感、無価値感は
子供の頃に認められたり、愛されてこなかったから
というような記載が良くありますし、実際に私もそうなのかな・・・と思っていたこともあります。
でも、精神世界を学び、リサーチしていくうちにどうもそうでもないのかもしれないと思うようになっていきました。
というのも戦時中に子供だった時の人たちの方が「親には十分に愛されてきた」と思っている人が多かったからです。
当時、一つの家族あたりの子供の人数も多くて、物も少なくて、父親なんて戦地に行ってしまっていて、お母さんも心に余裕なんてなかったのに、それでも親に感謝している人が多いんですよね。
戦時中ということで、期待値がそもそも低かったから、ちょっとのことでも「大変な中、お父さん、お母さん、こんなにしてくれてありがとう」と思いやすかったのかもしれません。
注いでもらえる時間や関心、与えてもらえる物、食べさせてもらえる物、一緒にいられた時間、そうしたことを考えてもずっと少ないはずなのに、満足度が高いというのは、愛というものが相対的なものであり、実は受け手次第なのではと思ったのです。
現代の多くの人たちが満たされない思いを抱えていたり、認められていないと思っているのは、世の中が豊かになって、時代的に親にも自分にも余裕ができて、生命の危険も感じなくなり、全体的な「期待値」が上がったことと関係があるのかもしれません。
『もっとできるはずでしょう。』
そんな風に、親も、子も、誰もが、相手に対して自分に対してそんな風に期待できる豊かな環境になった反動かもしれません。
希望を持つというのは、今も幸せだけれど、未来にそうなればよりハッピーだという状態。
そして、期待するというのは、もっとあって当然、そうなって当然のはずなのに、今はこれしかないという状態。
他の人に期待に応えてもらえなかったり、自分自身が自分の期待を上回れないことに満たされない気持ちを抱いている人も実際に多いのではと思っています。
過去に愛されてこなかったからとか、認められてこなかったからという以上に、
今、自分が期待している状態になっていないこと
が満たされていない一番の原因なのではと思うんですね。
それで、「もっとできたはず」「もっとできるはず」という考えを自分にも他人にも一度やめてみるというのはどうなんだろうと。
もっとできるなら誰もがもっとやってるはずなんですよね。
もっと上手くできるなら、その時、もうそれをしてるはずなんですよね。
例えば、他の人に比べたら少ないかもしれないし、正しくできてはいないけれど、人間というものの性質からして、やれるだけのことはやるものだと思うのです。
自分のことを後から振り返ってみると、別のやり方があったんじゃないかとか、もっと頑張れたんじゃないかとか、思ったりすると思うんですが、それはその時の体験を通して、結果を見て学んで、今になって初めて言えることなんですよね。
あの人はもっとできたはずとか、もっとやってくれても良かったのにとか思うかもしれませんが、それもその人のその時の限界なんですよね。
誰もがその時のベストを尽くしている。
よくそう言いますが、本当にそうだと思います。
仮にそうではなかったとしても、そう思えた方が、自分にも他の人にも優しくなれて自分の心が満たされていきます。
満たされていけば(ひとまず満足する・その状態を許す)逆にもっと限界が広がっていくし、もっと受け取れるものも、できることも増えていくんですね。
過去を変えなくても、過去に対しての自分の見方を変えるだけで、そこから受け取る体験が違ってくるんですね。
自分や他の人に対する期待値を下げることで、罪悪感や責める気持ちからも解放されますし、自分や他の人を許すことができるようになっていきます。
ちなみに・・・
幸せな人ほど、自他に対する期待値が低い傾向があります。
ちょっとしたオススメのワークをご紹介します。
「期待の声と天使の声」というワークです。
例えば、
「自分はあの時にもっとできたのではないか」という頭の声が聞こえてきて自分を責めてしまうとします。
それは期待の声、それとも天使の声のどちらでしょうか?
期待の声ですよね。
そうしたら、天使だったらなんと言うかな?と考えてみてください。
それは例えば、
「これまで十分にやってきました。むしろもう限界を超えるくらい頑張っていたのではないですか。もう自分を自由にしてあげて良いのですよ。よくやってきましたよ。」
そんな声かもしれません。
心が少し温まったり、背中の重さが取れたりするかもしれません。身体が楽になるような声が天使の声なんです。
それが真実の声です。
できるだけ、そんな優しい声を自分にかけてあげてくださいね。