我慢しないことを自分に許す

私たちの多くは、結局のところ自分に一番厳しいと思うんですね。

誰もの中に、2つのパートがあります。

一つは愛の声、もう一つは自分を批判したり裁いたりするエゴの声です。

私たちは、もうずっとエゴの厳しい声を聞いて生きてきているんですね。

エゴの厳しい基準に沿うことができないと、罪悪感をいつも感じる。

私たちの多くは、このエゴの罪悪感の奴隷とも言えるのかもしれません。

とにかく、罪悪感中毒と言えるかもしれません。

 

子供の頃に、他のクラスメイトより、足が遅かったり、背が低かったり、太っていたり、成績が良くなかったり、上手に人間関係が作れないだけで、罪悪感を感じてきたと思いますし、親にお金を使わせてしまったと罪悪感を感じたかもしれません、大人になってからでも、他の人が持っているものを自分は買えないとか、十分に稼げないとか、資格を持ってないとか、恋人ができないとか、子供がいないとか、そういうことでも罪悪感を感じたりするんですよね。

 

私たちはすぐに罪悪感を感じてしまうから、だからそれが嫌で我慢して頑張る、我慢して耐える、そんな風に生きてきているように思います。

ワクワク系のスピリチュアルな教えでは、「我慢をしないことが大切」と言われていますよね。

我慢というのは、確かにエネルギーレベルを下げてしまうんですよね。不自由さや萎縮してしまう感じもあると思います。

私たちのほとんどは、我慢をして生きてきていると思うんです。

自らの内側に、厳しいジャッジをするエゴがいるからです。いいものは十分にないから競争に勝たないといけない、頑張らないといけない、我慢しないといけない、一生懸命やらないといけない、間違えてはいけない・・・と自分を震え上がらせるエゴがいるからです。

 

外側から見て、そんな風に見えない人でも、心は擦り切れそうになっていたりする場合もあると思います。

ある著名な芸能人の方が、テレビ番組で「みんな我慢してるよね」「我慢は当たり前のこと」と語っていたのを見たこともあります。

多くの人が、自分に素直になれば、

「本当はもう我慢できない・・・」

そんな風に、心は悲鳴をあげたくなっているのかもしれません。

それでも、我慢してしまうのは罪悪感が強いからなんですよね。

そして、一歩進んでとりあえず我慢する行動をやめたとしても、心は我慢をしないことに罪悪感を感じていたりします。

私たちの中のエゴというのは、我慢しても、我慢しなくても、罪悪感を感じるんです。

もう辛すぎて我慢はできない。

でも、我慢をやめることに罪悪感を感じる。

そんな葛藤の中で苦しんでいる方も多いかもしれません。

そして、精神や身体が病んでしまった時にやっと我慢しないことを自分に許すことができた・・・・という方も多いかもしれません。

 

少し前に、安倍総理が「うちで踊ろう〜」という星野源さんのSNSの投稿に合わせて、家でのんびりお茶を飲むシーンをアップしていましたが、それに対して、多くの人が批判していたんですよね。

そんな場合じゃないだろう!と。

他の人たちは苦しんでいるのに、なんで自分は家でのんびりしているんだ。と。

 

私は、その声を上げているそのパートこそが「エゴ」だと思ったんですね。

その根源こそが「罪悪感」だと思うんですね。

きっと、そうしたツイートをされていた方というのは「我慢しないといけない」と信じている罪悪感が強い方たちだと思うんですね。

他の人が苦労していたり、辛い思いをしている時に、きっとそうした方たちは自分も幸せになっちゃいけないと、我慢をしていると思うんです。

それは、一見すると「愛」に見えるかもしれませんが、正義感のジャッジメントですし、共依存な愛なんですよね。

 

「他の人が苦しんでいる時、他の人が不幸な時、自分も幸せになってはいけない。」

その信じ込みは、苦労する母親の後ろ姿を見て、不機嫌な母親の顔を見て、自分もまた不幸でいないと愛されないと、子供の頃に身につけてしまった思い込みと同じなんですね。

自分の愛する誰かが不幸な時、病気の時、お金で困っている時、辛そうにしている時、自分も同じように不幸でいます、自分も病を抱えます、お金で困ります、辛い人生を送ります、

というのは、エゴから生まれる、依存なんですね。

実際にそう生きていらっしゃる方も多いと思います。

 

誰かが不幸な時、自分まで不幸でいないといけない気がする・・・

誰かが我慢して、小さく生きている時、自分も我慢して小さく生きないといけない気がする・・・

もっと苦労しないと幸せになってはいけない、成功してはいけない・・・

親を、先輩を、超えてはいけない気がする・・・

自分だけ、幸せになってはいけない気がする・・・

 

その思考パターンが、実は、エゴのトリックなんです。

 

奇跡のコースには、

神が私に望んでいるのは、完璧な幸福です。

幸福でありなさい、ここでのあなたの唯一の役割は幸福なのですから。

(ワークブックレッスン101、102)

という言葉があります。

自分が幸福でいる時、その安らかで愛に満ちた心が照らし出す世界というのはどんな世界になるでしょうか。

幸福とは、神に望まれた「役割」なんです。

幸福になってもいいですか?こんな自分は幸福になる権利があるのですか?ではなく、幸福でいてください。お願いします。と頼まれているんです。

幸せになっていい?幸せになっても悪くない?

ではなく、

幸福になってください、みんなのためにも。

幸せでいてください、輝いてください、羽ばたいてください、そして、どうか世界を明るく照らしてください。

ということなんです。

 

罪悪感は、こんな自分が・・・自分だけが・・・と語りかけてくるかもしれません、でも、幸せでいることが世界を幸せにすることなんです。

だからこそ、エゴは罪悪感を使って、それを先延ばしにさせようとするんです。

 

我慢しないことを、もう一生懸命に頑張らないでいいことを、自分に許してあげてください。

今、幸せになることを自分に許してあげてください。