嫌な気持ちがした時に思い出したいこと

朝起きると、なんか今日は心がザワザワするな・・・とか

イライラしがち・・・とか

どうしても引っかかることがあるとか

このことで嫌な気持ちがするとか

そんなふうに心がどうしても落ち着かないことが誰にでもいつでもあると思います。

 

心が何か穏やかでない時、

それは何を表しているかというと

自分は間違った判断を信じてしまった。

ということなんですよね。

 

つまり、

自分が起きたことについて、自分(自我)なりの意味づけをしたということです。

心が落ち着かないのは、外側で起きたことのせいではなくて、自分がその出来事に対して自我で判断をしたということだし、その判断を本当だと信じてしまったということなんですよね。

 

例えば、誰かに挨拶をしたのに相手は挨拶を返さなかったとします。

そのあと、心がザワザワして嫌な気持ちになったとすれば、

1 相手は自分をワザと無視をした

2 相手は自分のことをバカにしている

3 相手は自分を嫌いだ

4 相手は自分を軽くみている

5 私には価値がない

6 私のことをいじめている

 

そんなふうに、起きた出来事に自分で過去の体験や知っていることを基準に意味をつけている時だと思いうんですよね。

あの時のあの人にされた時と同じ!!とか、

心はその過去の誰かに挨拶を返してもらえなかった時の体験とかを持ち出してこの人もまたそうかとか、そうやって次々にそのストーリーを進めていくんですよね。

 

自分がこうなるだろうとか、こうなって欲しいとか、それに反することを知覚すると、人はそこに判断を持ち込んで、ついでに罪悪感という飾りをつけて、どんどんエゴの作ったストーリーにはまり込んで行くんですよね。

 

でも、心が落ち着かないような解釈というのは間違っているということにまずは気づく必要があるんです。

 

目の前で起きたことに対して、嫌な気持ちになる時、自分(自我)の判断が自動的に働いているからということにまずは気がついて、ホーリースピリットや心に話しかけてみたいんですね。

 

自分がスピリットから離れて見ているということを思いだせれば、

なんでもいいと思います。

大切なのは「自分が見たことや感じていることが違う」って教えてくださいということなので。

 

そうすると、必ず心が穏やかになるような答えがやってきます。

 

私たちは目で見たことを判断して、一喜一憂するということをずっとやってきていますが、

嫌な気持ちになった時は自我で「判断」している。

その判断は正しくない。

というところに改めて戻ってきたいんです。

 

先ほどの、挨拶をした相手が挨拶を返さないことを、例えば心に尋ねたとすれば、

自分自身が相手を拒絶していたり、相手からの愛を怖がっていたということを教えてもらえて、決して自分が拒絶されるような人間でなかったことを教えてもらえるかもしれません。

とにかく、

誰も悪くない

という場所に心が戻っていくはずです。(心が戻るまで少しの時間が必要な時もあるかもしれません)

 

自分は拒絶される人間だとか、自分には価値がないだとか、相手はバカだ(笑)とか、そういうストーリーをエゴは進めたがるんですよね。

その道具として、知覚(目で見ることや感じること)が使われるんです。

でも、知覚は正しくありません。

 

嫌な気持ちは、正しくない判断を下した。

信じないでいいことを信じた。

ただ、そのサインなんです。

 

嫌な気持ちを感じた時は、自分(自我)の判断が誤っているから。

そのことを思い出したいです。