外側に敵はいない

先ほどテレビをつけると、香港での反政府的な動きを取り締まる「香港国家安全維持法」が中国で成立したことについてやっていました。

国家安全という名目でありながら、実際には政治的な反対意見を封じるために法律が使われる可能性があると、懸念されていますよね。

また、日本でも緊急事態宣言の際に、自粛を求めることについて、国民の自由VS国家権力という問題について話す政治家もいましたし、YouTubeなどでも、コロナ問題にかこつけて、着々と国が国民の自由を奪う方向に働いている、という陰謀論などを話す人も多かったと思います。

 

陰謀論とかを聞くと、やっぱり!何かおかしいと思った。という人もいると思いますし、映画みたい!と思う人もいるかもしれません。

その陰謀論の多くをざっと言ってしまえば、「一部の大金持ちや権力者が国民を搾取している。自分達だけがお金を吸い上げるために、国民を犠牲にしているし、今後はさらに国民が奴隷化されていく」というシナリオだったりします。

 

確かに、「自分達は被害者だ!権力に立ちむかわねば!」

ということを語っているのを聞くと、何だか一体感が湧いたり、自分の人生がこんなにも辛かったのは国のせいだったのかとか、使命感や、高揚感を得られるのかもしれません。

というのも、私たちのエゴは「自分は被害者」だと思うことが大好きだからです。

本当に世の中の多くの人が「自分は被害者で相手は加害者」というストーリーにはまり込んでいるんですよね。浸り込んでいる、と言ってもいいかもしれません。

その相手が国だったとしても、個人だとしても、自分を被害者だと認識させるのは、エゴの罠です。罠で、罠で、罠で、罠すぎて(笑)罠に完璧にはまって、そこから抜け出せない輪の中に入り込んでいます。

自分を誰かの被害者だと思うということは、自分は無力です。

と言っているのと同じなんです。

自分は、自分の力の源を見ないでおきます。

と言っているのと同じなんです。

 

それで、自分を被害者にさせておくエゴの罠は何のためにあるかというと、愛や光を生きられないようにするためです。

つまりは、自分は被害者であるため、これから先、加害者によって自分の自由や自分が幸せになることを妨害されるだろう、というシナリオのもと、

自分を防衛するように持っていきたい。

というのが、エゴのシナリオです。

防衛すると、愛や光が外側へと広がっていきません。

防衛というのは、攻撃されるのが怖くて自分の光を隠すというのもそうですし、邪魔者を排除するために戦うというのも、防衛の一つです。(いずれも光を生きることの先延ばしです)

エゴはいろんな理由を使って(その大きな理由の一つが自分は被害者という認識)自己防衛を正当化させようとします。そして、防衛している間は光を生きることができないし、愛を広めていくことができないんです。それこそが、エゴの仕掛けた罠です。

 

先日、野球選手のイチローさんがテレビでこんなこと言っていました。

確か、嫌われるのが怖いと言っていた人にだったと思いますが、イチローさんは「嫌われるの大好き!」と話していました(笑)

また、出る杭は打たれるということについて、打たれないようにするためにはどうしたらいいですか?という質問にも、「それは簡単です。もっと出たらいいんですよ。突き抜けちゃえばいい。そうすると手に負えないってなるから・・・」と話していました。

世界で輝いている人というのはこんな風に考えていて、防衛していない、少なくとも光り輝くことを怖がっていないのだと感じました。

 

さて、話を元に戻します。

外側に敵がいると思うから怖いんですよね。誰でも外に敵がいると思えば怖いです。

でも、敵は内側にいます。

だから、やれ陰謀だ、やれ政府だ、やれ上級国民だと、言っている時というのは単に目を塞いでおきたいだけなんです。

外の敵に対処しようとしている時、悩んでいる時、彼らのせいで・・・と言っている時、それはまるで笑っていない自分を鏡に映して、その鏡の自分を何とか変えようとして鏡を小突いているのと同じなんです。

 

「敵」というのは、自分の中で統合されていない自分です。

他の方向に走って行こうとしている自分です。

私たちの心の中というのは驚くほど混乱しています。

いろんな願望が入り乱れています。だから、どの方向へも進んでいけないんです。

それぞれが綱引きをしているようなものだからです。

私たちの心というのは正直になってよく観察すると、本当に精神が分裂しているんですね。

わかりやすい例で言えば、あれは欲しいけれど、お金は減らしたくない。とか、そういうのも一つの葛藤ですよね。

他にも例えば、自分のうちにパワーを取り戻したい!と思っていて、自分は被害者じゃなかったのか、とパワーを感じ始めたかと思ったら、突然「自分が辛かった時の気持ちを理解してほしい、慰めてほしい、自分にはトラウマがある」という他のパートが出てくるということです。

自分は被害者じゃない、パワーがあるのだということを認め、光に向かいたいという思いと、自分は被害者だ、トラウマがある、という部分が拮抗するとそれこそパワーを取り戻せなくなるし光を生きれない。ということです。

こうなってしまうと、無理に進もうとしても無理ですので統合(和解)が必要です。→癒しのヒント

注意深くいれば、外側に光を生を生きることを阻むような対象を作り出していることに気がつきます。

反発している自己の内にいる思いが、外側に現れてくるんですね。

例えば、自分は前向きに考えて進もうとしていたのに、それじゃダメとかそれだと無理だとか言うようなネガティブな人が出てくるとか。

自由に生きたいのに、不安が強いと、支配的な人という形で外側に対象を作り出したり・・・といろんなパターンがあります。(この場合の支配的な人は自分の中の安全欲求に対応しています)

実は、その相手が自分に対して言う考えや行動の種が、そもそも自分の中にあって自分の前進を邪魔をしているので、その場合も統合が必要です。

 

とにかく、光を生きれる時というのは統合されている時、一つの方向の願いへとエネルギーが動いている時だけなんですよね。

その願いというのは、天命を生きたいとか、神の意志を生きたいとか、いろんな表現はありますが、「自分の生まれてきた目的を生きたい」というただ一つの願いなんです。(そして、その願いを生きる(光を生きる)と自然にお金や必要なものもやってきます)

 

それから、外側の権力者、国民をお金のために利用しようとしているように見える政府というのは、誰でしょうか。

それも自分の中のある1つのパートにすぎません。

誰もの心の中にエゴはあって、そのエゴは策士です。自分の都合の良いようにことを運ぼうとしたり、自分が与えるよりも他人から何かを多く引き出そうとしたりそういうことを考えていますよね。

「泣いたら買ってもらえると思って、泣いて親をコントロールしようとする」子供の中にあるエゴも、「ふてくされることで、彼が飲み会に行くのを阻止しようとする」彼女のエゴも、「おい、にいちゃん誰のシマでたこ焼き焼いてんじゃ、上納金よこせ」と脅すコワイ人のエゴも、「国民に高い税金を払わせようと色々策を巡らせる」政治家のエゴも全部同じエゴです。

他人を自分の思い通りに操ろうと策をめぐらしてコントロールしているのだから、全て同じです。

誰の中にもある、策を巡らせて自分の思い通りに運びたいという思い、それと政治家や国家権力とどう違うというのでしょう?同じです。エゴはみんな同じなんです。

お金のために、国民である自分を犠牲にしているのは、国家ではなく、好きでもない仕事をお金のために自分に強いている自分?と思い巡らせるのも悪くないと思います。

 

外側に敵はいません。

だからこそ、外の世界を怖れなくても大丈夫なんです。

必要なことは、自分の中を統合していくこと。

自分のミッション、光という、一つの方向、想いに向かっていけるよう、雑草を引き抜くように根気強く統合をサポートしてあげることなんですね。