劣等感の意味を「一般的」な辞書で調べると・・・
『自分が人よりも劣っていると感じること』などと出てきます。
劣等感が強いと、劣等感を埋めるために、
・もっと頑張る
・資格を取る
・自分を磨こうとする
・もっと学ぼうとする
・外見を磨こうとする
・功績を残そうとする
・人より優位に立てる自分になろうとする
・マナーや教養を身につけようとする
・他人より精神的に優れていたり悟っている人になろうとする・・・
など足りないと思っている自分を埋めるために、外側から何かを取り込もうとするんですね。
ちなみに上記の項目は劣等感を感じていない人でも自然にすることでもあるので、その行動だけでは劣等感が強い人なのかどうかは見極めることはできません。
劣等感を埋めるための行動なのかどうかは「本人の心」だけがわかっているのですね。
さて、今回は劣等感を新しく定義したいと思います。
劣等感とは、
『自分にはもっと多くの人に与えられる才能や分かち合えるものがあるはずなのにそれが叶わないと感じている』
という新しい意味です。
だからこそ、もっと他の人に与えられる自分になるために「自分にプラス」しようとするのではないでしょうか。
もっと分かち合いたい、もっと受け取ってほしい、でも誰も今の自分の持っている才能やスキルを欲してくれないだろうな。
それが劣等感の心理的な意味だと思うのです。
劣等感が強い人ほど、他の人に与えられる才能や分かち合えるものを持っていることを潜在的にわかっているのです。
ですから、劣等感で苦しむのは与えるサイドの自分の中の男性性なんですよね。
対比的に、受け取るサイドの女性性が苦しむのは無価値感なんです。
自分を表現して分かち合いたいのに、自分の中にあるもの、アイディア、才能や喜びをもっともっと多くの人と分かち合いたいのに、それが叶わない。
与えたいのに、もっといっぱい与えたいのにそれが叶わない。
それが劣等感の苦しみの根源なのではないでしょうか。
だとすれば、劣等感に苦しむ人ほど、まずは
もっと取り入れることをやめていく。
これ以上、素晴らしい自分になるために、準備のために、スキルアップしたり、知識を貯めようとしたり、資格などをコレクションすることをやめていく。
そして、勇気を出して
自分を与えていく。
自分を表現していく。
もっと人前に出ていく。
その必要があるのではないでしょうか。
欠けていると思っている自信を埋められるのは、それ以上のスキルや知識ではなく、誰かに喜んでもらえた、誰かにポジティブな影響を与えられたという経験なのです。
劣等感を埋められるのは、他の人たちと比べて素晴らしい自分になることではなく、他の人の人生に貢献できたという経験なのです。
人生において「満たされない」と感じている半数以上の方は、自分が誰かから何かをもらうことで満たされると信じています。人から認められたり、愛する人から承認されたりすれば満たされると信じています。
しかし、本当は、
「自分が与えるもので誰かに貢献できた」という体験こそが自分の劣等感を癒し、自分自身を満たしてくれるのです。
親子関係に詳しい著名なカウンセラーが以前、著書の中で
「親が子供に何もやらせないことで子供の自信が奪われていく」
と語っていたのですが、子供に手伝いをさせなかったり、役割を与えないこと、子供がしたことで喜ばないこと、先回りしてなんでもやってしまったことで子供は「自分は役立たずだ」と思っていく。
そう語られていたのです。
私はたくさんのクライアントさんのお話を聞いてきて、特に「子供がしてくれたことを喜ばないこと」「子供が親の役に立ったと感じる機会を与えなかったこと」それが劣等感の原因だと感じています。
劣等感は、子供の頃の人間関係や、青年期や大人になってから誰かと比べて他人に劣っていると思ったこと、何らかの挫折、親から褒められていないということよりも、
小さな頃に「親の役に立てなかった」という思いが根源なんです。
「大好きな親に貢献できなかった」「自分のしたことで喜んでもらえなかった」そんな思いなんです。
ですから、本当は与えられるものがたくさんあって、自分が貢献できる人がいるということを少しでも多く経験する必要があるのです。
溢れるほどに外にでたがっているもの、与えられるものが内にあるのですから、それを分かち合っていくことです。
劣等感を埋めるために何かをプラスするのではなく、今、自分が持っているもの(才能やアイディアやスキル、表現、優しさ、思いやりなど・・・)で他の人に貢献していく。
家族でも、親戚でも、友人でも、お客さんでも、同僚でも、クライアントでも誰でもいいと思います。
今の自分には与えるものがあり、役に立てる人がいる。
「今ある自分を与えていく」
ということをしていくんです。
もらおうとして与えるのではなく、自分が相手から欲しいから貸しを作るために与えるのでもなく、ただ自分が与えられるものを与えていく。
受け取ってもらえて、役に立てた、喜んでもらえた。そんな体験を積んでいくと、劣等感や自信のなさが癒されていきます。
そうすることで、自分は他の人に貢献できるという自信がついていきます。
それこそが劣等感の克服なのだと思うのです。
劣等感が克服できてくれば、本当に自分がやりたいことでも与え、受け取ることができるようになっていきます。
劣等感で辛い思いをしている方ほど、何か外側のもので自分を埋めようとするのではなく、本当は才能に溢れているので、今あるものを誰かに与えて分かち合ってみてください。
劣等感が強い人ほど、人に与えられる才能がないのではなく、逆にたくさんの人と分かち合える才能がありすぎるのに分かち合えなくて困っているのです。
ですから、与えたがっている、与えたいと思っているハートの思いを叶えてあげてください。
実は劣等感が強い方の中にはこのことを感覚的に知っている方も多く、すでに「間違えた与えかた」で疲れている人も多いかもしれません。誰か他の人に尽くしすぎたり、助けすぎたりする人も多いかもしれません。
そのような方は、愛されたい相手や承認が欲しい相手に対して「相手の期待に答える」「相手を幸せにしなければ」という与え方をしてきたかもしれません。
けれど、このパターンの方はこれからは相手の期待に答える、相手を幸せにするという与え方ではなく「相手がくれるものを喜んで受け取る」というやり方を取り入れてみてください。
また、あなたの周りに劣等感で苦しんでいる人がいるのなら、相手から遠慮せずに喜んで受け取ってあげてください。
相手が欲しがっているように見えるもの(愛や承認)をこちらから与えるよりも、劣等感を感じている人からは、与えてくれたものを喜びと感謝とともに「受け取る」ことが相手のとっての「真に助け」になります。(喜びとともに受け取るということは与えることでもあります)
蛇足ですが・・・
パートナーシップにおいて、男性は「喜んで受け取ってもらえることで自分に自信がついていく」と言います。
まさに、男性性は与えることで喜びを感じる。男性性は与えることで劣等感を克服して自信をつけていける。ということとつながっていますよね。
男性を面倒見たり、男性に与えすぎてしまう女性は、パートナーに自信をつけてあげるためには男性に愛や物、承認を与えるより、「受け取り上手になる」「役割を与えて助けてもらう」ということが大切なのですね。男性は女性を愛することができるようになるためには、自分に自信が必要だからです。
ちなみに、そもそも与えることをしようとしない、人から愛や承認をもらうことしか考えることのできる段階でない男性は、パートナーを受け取る準備ができていないと言えます。
ですので「愛してあげれば彼は変わるはず」と相手を変えようとするのではなく、今はその段階ではないことを受け入れた上で、進退について考えてみることが大切です。