依存を克服するためのスピリチュアルなヒント

スピリチュアルの分野でも、そうでなくても「依存」がテーマになることは多くあります。

近年は依存という言葉が頻繁に用いられるようになり、スマホ依存やゲーム依存なども話題になっていますね。

「スピリチュアル依存」などもインターネット上で語られていたりしますよね。

セッションなどでも相談を受けることも多いのですが、なぜ、依存が生まれるか、たくさんの説があると思うのですがいろんな方のケースを見させていただいたり、学んできた中で

外側から愛が欲しい

という想いから依存は生まれているのだと感じたんですね。

恋愛依存などは、わかりやすくこのパターンですよね。パートナーや好きな人から愛されたい。相手から愛が欲しい。相手からの愛がなければ安心できない。その強い想いが依存になっているわけです。

セラピストやスピリチュアルな教師に依存してしまう人は、承認して欲しい、認めて欲しい、安心させて欲しい、何とかして欲しい、そんな風に愛を欲しがっているんですよね。

スピリチュアルや自己啓発セミナーなどに依存してしまう人も、すごい自分、みんなに認められるような自分になりたい。そんな風に思っていろんなセミナーや講座を受け続けたりします。この場合もみんなに愛され、認められるような人になるため、という愛を求める想いなんですね。

仕事に依存してワーカホリックになってしまう人も、成功した自分でいることで人々から愛されるような、注目を浴び続けるような自分でいなければと思っていたりします。また、お金のためにワーカホリックになる人もいますが、お金がなければ人に相手にされていない、愛されないと思っている場合が多いです。

それが、洋服だったり、靴だったり、買い物依存だとしても、満たされない想いから依存行動になっていくんですね。その満たされない感覚というのが愛が足りていない、愛が不足している、という欲求不満の感覚なんだろうと思うんです。

アルコールやドラッグなどの依存も、劣等感や焦りからの解放、安心感や葛藤のない心を求めての行動と言われていますが、実は「普段は人当たりの良い人」に多いと言われています。人に愛されるために、人に嫌われないようにするために日々多大な努力を払っているストレスなのかもしれません。

スマホ依存やゲーム依存も、満たされない想いを解決できないことからの逃避や周りに置いて行かれないようにすることから生まれているかもしれません。

依存の原因は昔から色々と専門家によって語られていますが、スピリチュアルな観点から見ていくと、愛の源は自分の外側にあり、欲しい愛は外側から得なければならない。という想いが強いことから生まれているのではないでしょうか。

 

みんなから(または特定の人)の愛や承認が欲しい。

外側からの愛を必要としている。

 

それが依存の根底にある想いなのです。

大なり小なり誰でも、愛されたいと思ったことはあると思いますが、まずは、依存症になるほどに「自分は外側からの愛や承認を求めている」のだ。

ということに気がつくことが大切なことです。

何らかの依存症になることは愛が足りていないという想いなので、多くの方は同時にお金の問題も感じているかもしれません。

何かに依存すれば、その対象にお金を使い続けてしまうので、お金の問題が生じるという表面的な問題以上に、足りない愛を埋めようとする行為にお金を投じていると言えます。

愛の欠乏を補うために、そして自分の必要を満たすために、外側の何かにしがみついてきた自分を裁かないということが、癒しのプロセスを進んでいくのを助けることになります。

自分が依存しているものとは健全な関係を築くことはできないのは依存したことのある人であれば経験的にわかっていると思いますが、それはなぜかと言えば、誰かや物など自分の必要を満たすためにそこに存在すると見なすこと自体が攻撃だからです。

他の誰かや、物や、状況などとの関係の目的について、自分自身に完全に正直でいることが癒しを助けます。

 

「依存症の原因は理想の自分と今の自分とのギャップ」

 

私のメンターの一人であるドクターは「依存症は自分がこうありたいと思っている自分と現在の自分との差が激しいと生まれる」と話していたことがあります。

ここでもやはり「自己否定」の問題が関わってくるんですね。

自己否定とは、今のままの自分では人から愛されない。という想いです。だから、こうありたい自分になれれば、愛する人やみんなから愛されるだろうと思うんですよね。

だからこそ、違う自分になろうとして頑張るんです。それがそのまま依存になったり、そのストレスや心の葛藤が依存症に繋がるんですね。
 
そう考えると、依存症を克服するためのヒントは
 
『誰かから愛されるためにこれ以上頑張らないこと』
 
と言えるのではないでしょうか。
 
人からの愛を必要以上に必要としない。とも言えると思います。
 
誰もが外側からの愛があればハッピーですが、自分の中の土台は自分の愛(スピリットの愛)である必要があるんですね。
 
誰かに愛されるような自分になるための生き方ではなく、
 
自分を喜ばせ、楽しませるために生きる。
 
という生き方に変えていく必要があります。
 
この過程で、自分以外の誰かを崇めていた方は自分以外の誰かを崇めるなんてバカらしいと思うようになっていくはずです。誰かに評価されたり、愛されなければ生きていけないという思いもなくなり、ただ自分を喜ばせ、楽しませてあげたいと思うようになっていくはずです。その先に真に愛し愛される関係があるのではないでしょうか。
 
依存症になる方は頑張りやの方が多いと思います。小さな頃から親の期待に応えようとしたり、他の人からの愛や承認を得るためにものすごく努力をしてきた人が多かったりします。
 
けれど、その努力をやめ、外側から愛を欲しがるのではなく「本当の意味で自分のために生きる」と、多くの場合は本当に欲しかった愛が外側からも得られるようになります。
 

「大きな罪悪感と自己嫌悪という原因」

 

また、依存症の他の原因として「極めて大きな罪悪感と自己嫌悪」というものがあげられます。罪悪感がもたらす苦痛から逃れたくて中毒性のものに頼ろうとしてしまうことがあるのです。
何があって大きな罪悪感や自己嫌悪を感じているとしても、ここでの学びは「自分が犯したとしてあなたが自分を責めてきた「罪」は、何の結果ももたらしていない」ということです。
 
自我は、犯した罪は苦しみと犠牲によってつぐなう必要があると、私達に告げますが、感じている何らかの罪に対しての罪悪感というのは、ダミーで、人間は自分が犯したと思っていることで罪悪感を感じているのではないということです。
 
自分の罪悪感を赦すためには、スピリットの力が必要です。
 
スピリット(神)の愛を内側に迎え入れてください。