他の人が自分をどう思うかを気にしなくていい理由

昨日、おもしろい動画を見つけて、寝る直前まで何度も見て笑っていました。

 

 

コントのようで、赤ちゃんの「わかった?!ダメだからね!!」と言わんばかりに、マラカスで念押しする姿とお父さんの顔を見ながら主張する姿が可愛すぎです。

「オケー??」と、きっとお母さんがいつも諭している時の真似をしているんだろうなぁ・・・と思うと可愛くてもうエンドレスで見てしまいます。

ちなみに、隣でまったく無関心なお兄ちゃんがさらに笑えます。

それで、この動画見ていて思ったんですね、いいねの数が6.7万もあるのですが、良くないねが4.6万もあるんです。

 

どれだけ素晴らしいものでも万人が一致していいね。というのはないんですよね。

たまにyoutubeを見ると、そんなこと考えている時があります。

私のメンターも本当に愛に溢れるメッセージを配信しているのですが、1〜3人くらい良くないね、とかがついている時とかがあって、やっぱりどれだけ光のメッセージを発信していたとしても、何人かはどんな理由かはわからなくても賛同しない人はいるんですよね。

 

ベストセラー作家の「ユダヤ人大富豪の教え」を書いた本田健さんが、以前こんなことを話していました。

「作家というのは、ジャングルに裸で貼り付けにされて、通りすがりの人に槍で刺されるようなものだ(笑)」

 

私たちが何かを発信したい、多くの人と自分のギフトを分かち合っていきたい、そう思った時に、批判されたり、否定されたりするのが怖い。という思いが出てくると思うんです。誰でも、その恐れと向かいあうことになると思うんです。

それに、いいね、と思ってくれる人が増えるのと同時に、いいねと思わない人も増えていくことは否めません。

けれど、賛同しない人のために、いいね、と思ってくれる人たちに感動や喜びや癒し、インスピレーションを届けられるチャンスを諦めるのはもったいないですよね。

100人にいいねをもらえなくても、誰かたった一人だけでも、本当に感動して、喜んでくれる人がいるのなら、それだけでも価値あることだと思います。

 

先ほども、youtubeのお話をしましたが、世紀の歌姫と言われ、亡くなってから50年ほど経ちますが、未だ誰も彼女を超えていないと言われる、そんなオペラ歌手にマリア・カラスがいます。

youtubeのカラスの歌の動画にすら、よくない、という評価がいくつもついているんですよね。

キングオブテナーと呼ばれるパバロッティもしかりです。

私から見れば、良くないとかつけるなんて、一体誰なんだろう?と思うくらいのことなわけです。(笑)でも確かに、ロックバンドとかポップスとか好きな人から見たら、こんなのつまらん!となってもおかしくないんですよね。

それに、カラスが生きていた当時から、マリア・カラスの声が好きではなく、当時、人気を二分したテバルディというオペラ歌手の方が好きという人もたくさんいたようですし、批評家から「趣味が悪い歌い方とか」とんでもない手紙が届くことも多々あったようです。

 

それから、皆さんご存知の歌手さだまさしさんは、ヒット曲を出すたびにクレームがある(笑)と話していて、関白宣言がヒットすれば女性蔑視、精霊流しがヒットすれば暗い、北の国からがヒットすればあんなの歌詞じゃない、と言われる・・・とテレビでお話しされていました。(2020年6月19日に追記)

 

どれだけ素晴らしいものだったとしても、「好み」があるんですよね。

お寿司は好きだけれど、イタリアンは好きじゃない。

みたいなものですよね。

 

それから、もし批判や否定する人がいても、個人的に受け取る必要はありません。

これはつくづく思うことですが、誰かを指さして何かを批判する時、見事なまでに、その本人が抑圧していることだったり、そういうことをしてしまう自分を責めてしまう、そういうことを他の人に投影して指摘しています。

あいタタタタ・・・

と思いますよね。

こういうこと、どんな人でもエゴに囚われるとやってしまうんですよね。(笑)

 

批判、否定をする人は罪悪感がすごく強い状態なんですね。だから、批判や否定をされてしまったとしても、それをした人が自分自身のことを受け入れられなくて苦しんでいるんだろう、そう思って「さあ次へ!」です。

もし、他の人たちに、同じことで繰り返し批判されるとしたら、それが真実であるというより、自分が「自己批判、自己否定」していないか?罪悪感を感じていないか、と考えてみるのがいいと思います。

例えば、そんなんじゃダメ!と人から繰り返し言われるとしたら、自分が自分にこんな自分じゃダメ!と自己否定していないか?と考えてみるということです。

そして、それは本当じゃないんだった。と気づいてください。

あらゆる批判は「エゴ」から来るものです。ですから、そもそも耳を傾ける必要がありません。

私たちが耳をかたむける必要がある内側の声は、優しい神の声だけです。

その声は、「神はあなたを神そのもののように創造しました。何一つ欠けているところはないし、問題もない」と言っているんですね。

 

批判とか人から言われたことを本当に全て無視してしまっていいの?成長しなくなったり、独りよがりになってしまわない?建設的な批判はないの?自己反省とかしなくていいの?

と思う人もいるかもしれません。

でも、癒しの観点から言えば、他の人から言われたことではなく、「自分が他の人に対して思うこと」を癒す必要があるんですよね。

自分が他の人に対して裁きをしてしまう部分、批判してしまう部分、それを許して癒していくことだけが、自分の中の光を輝かせていく方法なんですよね。

 

私たちが、何かや誰かを批判するとき、それを自分に禁止することになるんです。

例えば、「その程度でヒーラーなの?」とか「セラピストの癖に癒されていない」と、思っている時、こんな自分ではヒーラーになれない、癒されていない自分なんかにクライアントを癒せるわけない。そう思っていてそれを具現化させているんですよね。

同じように、「そんな誰でも知っているようなこと本に書くなよ」とか、思って作家を批判してしまうとき、自分の表現することやアイディアには価値がない、何かとてつもなく素晴らしいことでないと人前で表現してはいけないから、自分なんかは表現してはいけない。そう、自分に禁止して、それを具現化させているんですよね。

 

例えば、「お金持ちは税金をごまかしたり、悪いことをして稼いでいるに違いない」そのような価値判断をするとき、実は、自分が絶対にお金持ちにならないようにしようとしているエゴの作戦なんですね。

奇跡のコースのティーチャーである、マリアン・ウィリアムソンは、

私たちが心の中で他の人たちに対して拒否することは、自分自身に対しても拒否します。他の人たちの中にあるものを私たちが祝福するとき、それは私たちのところに引きつけられます。

と言います。

 

自分に対しても、他の人に対しても批判しないこと、裁かないこと、を大切にしていけば、自分の中の光を輝かせて、他の人たちと分かち合うことを邪魔しなくて済みます。

エゴが自分の頭の中で他者や自分を批判するカセットテープを再生しだしたら、相手にせずにストップする。ということですね。ストップするだけで、心がほんわりとリラックスしてくると思います。

 

今日は、赤ちゃんの動画の話から随分と発展してきましたが・・・(笑)

 

他の人が自分をどう思うかというのは、全く気にしなくていい。

というお話でした。

 

他の人はどう思うのだろうか・・・

そういうエゴの声を聞くと、喜びを妨げて光を遮ってしまうんですよね。

ですから、自分が光を、喜びを受け取ってそれを喜びを感じながら表現する。

自分が喜んでいられるか。

ということだけが本当に大切なことなんですよね。自分にとっても、他の人にとっても。