先日、あるシスターの方がNHKの番組に出演されていました。
マザーテレサともお話をされたことがあるとおっしゃっていて、「日本が経済的に豊かになっても日本人はなぜか暗い顔をしている」と、当時来日されたマザーテレサがお話ししていたそうです。
さて、そのシスターの方のお話です。
そのシスターの方はたくさんの本を書いたり講演もされている方で、よくお手紙をもらうそうです。
そこには「私の苦しみが取り除かれるよう祈ってください」と書かれていることがよくあると言っていました。
けれど、
「苦しみが取り除かれることがその人にとって良いこととは限らない。」
だから、その人のためには祈るけれど、苦しみが取り除かれることは祈らないとシスターはお話していました。
私たちの多くは本当に苦しくなると、ほとんどの人が「神様」に自然にお祈りを捧げたくなるのではないでしょうか。
適切な言葉がわからなくても、いよいよという場面になると「神さま助けてください」そんな風に心の中で神にお願いしたくなる人がほとんどなのではないでしょうか。
自分(自我)ではもうどうにもならないとわかった時にはじめて自分(自我というエゴ)を超えた存在と繋がろうと謙虚な気持ちになれるのではないでしょうか。
私たちの人生がわりと上手く行っている時、そんな時は「自分の力」でできる。そう思うんですよね。
自分(自我というエゴ)はなかなかイケてるんじゃないか、自分というのは人と比べてなかなか優れているのではないか、そんな風に自我は自分こそに力があると思うんですね。
でも、いよいよ苦しい場面、自分の力ではどうにもならない場面に出会うと、ようやく自我というのは本当の自分ではなかったことに気がついていく道のりに入っていくんですよね。
人生に訪れる苦難というのは、私たちに与えられた神からの試練や罰、お試しというよりも本当の自分(神の一部である自己)に気がつくチャンスなんですね。
だから、苦しみを怖れなくていいし、苦しんでもいいし、苦しんでいる自分を責めなくてもいいんですね。
この日、シスターが出演していたNHKの番組が終わり、たまたま家族が見たがっていたアーティストの長渕剛さんの出演しているドキュメンタリー番組を引き続き観ていました。
長渕さんの成功の裏側での苦難が語られていました。
お母様の闘病生活を支えていた時の苦労や、ご自身のいろいろな苦悩などがあったようで、やはりその時に長渕さんは「神や宇宙」の様々な叡智と出会ったそうです。
その時に宇宙や神の存在など、いろいろなことをたくさん学び、神と繋がり、そこでの体験から感じたことがそれ以降の歌にも乗せられていったそうです。
様々な苦悩がきっかけとなり、故郷や日本への感謝の気持ちが強く湧いてきて、この国のために、人たちのために何か自分にできることはないのか・・・
そんな風にチャリティー活動をしたり、現在まで演奏活動されてきているようです。
苦難の中から、あのような素晴らしく勇気づけられ、多くの人の魂がゆさぶられ鼓舞されるような歌が生まれたのですね。
シスターの話から、長渕さんの番組まで、この日は奇跡的な流れの中で、神によって
私たちすべての人の人生はそれがどのように見えたとしても、祝福されており、肯定されているのだということを知らせてくれているように思いました。
私は、私が受け取ったメッセージを適切なタイミングで皆さんに伝えたいと思いました。
苦しい時、苦しくてどうしようもない時、それは内側で待っていてくれた神の元へ戻っていく準備ができたというサインなのかもしれません。それは何も、目覚めのために苦しみが必要という意味ではありません。
ただ、つらい時に、”私の人生は何の意味もなく辛いことが起こる理不尽な人生” ”自分は運命の被害者だ”という見方から、本当に辛く困難な時期というのは、本当の自分に戻っていき、本当の素晴らしい自分と”再会する”タイミングということに気がつければまた違った過ごし方ができるのと思うのです。
すべての人の人生は完璧に導かれていて、何の心配もいらないんです。
つらい時は、
神様、なぜ私をこんな目に合わせるのですか?なぜ救ってくださらないのですか?
と言いたくなる気持ちを横目に
「神様、どうか私の本当の素晴らしさを思い出させてください」
そんな風にお祈りしても良いかもしれません。
最後に・・・
より深い内なる力を見つける機会は
人生が最も困難に思える時にやってくる
〜ジョーゼフ・キャンベル(神話学者)〜