「人生にはいい事しか起こらない」の意味

昨日より、新型のウイルスのためにダイヤモンド・プリンセス号から下船ができなかった方々の下船が始まりました。

ニュースでは下船された多くの方々のインタビューがされていましたが、本当に印象的だった方々がいらっしゃったので少し書いてみたいと思いました。

世界では、日本の政府が船内に隔離したことを誤りだったとする報道も多く、下船された方がインタビューの中でも「監獄のような状態から抜け出せてよかった」「厚労省が悪い」「これ以上恐ろしいことはなかった」と怒りや不安についてお話しする方もいる中で、同じように船内に隔離されていた方々でも全く異なるお話をされていてそれが印象的でした。

それは、ある中年の男性の方だったのですが、これまで何十年も仕事で忙しく奥様と一緒に過ごす時間もなかったそうです。リタイアした記念に奥様との楽しい時間を過ごそうとクルーズ船にのったそうです。

楽しい思い出ができたと・・・終わると思ったところ、思わぬことが起きたと話していました。

それは・・・

「結婚してこれまで1ヶ月間丸々妻と寝食を共にしたことはなかった。長い結婚生活の中でいろいろなすれ違いがあったけれど、この1ヶ月間隔離されたおかげで、二人きりで過ごしゆっくり話ができて仲直りすることができた」

そう話していたのです。

他にも同じように「これまで夫婦で1ヶ月丸々二人きりで過ごすことはなかった」そんな風に話されている方がいました。

まさに、危機が夫婦関係を良くする機会(チャンス)となったという事です。

 

また、他の方にインタビュアーが「何かお困りのことはなかったですか?色々本当に大変だったのではないですか?」と聞くと、「全くなかったです。ワインは毎日一本くらい運んでもらえたし、それを飲んで楽しい気分になるし、部屋で運動をしたり、映画を見たり、特に困ったこともありませんでした」と答え、「それでもきっと何かあったでしょう?」とインタビュアーが聞くと、「そうですね・・・あえて言えば毎日食べきれないほど食事がたくさん運ばれてきたことでしょうか」と答えたのです(笑 それも良いことですよね!)

「仕事しなくていいんだからこんないい事なかったよ、あははっ」と語る初老の方もいました。

同じ状況に置かれても、人によってここまで感じることが違うのかと、スピリチュアルな本を読む以上にリアルに感じられました。

無理に不幸な状況をハッピーに、ポジティブ捉えるというわけではなく、おそらくそれがその方達の自然な思考回路なんだろう。そう思いました。

その方達が持っている、デフォルトが「自分にはいい事しか起こらない」という設定で、見ることを自分にとって楽しく捉えられるように脳が自然とそのように働くのかもしれません。

一方、多くの人が思うように、こんな出来事はひどい、辛い、困った。という解釈をするのはデフォルトが「自分には悪いことが起きて当然だ」とか「自分は運が悪い」とか「自分は幸せになってはいけない」「いいことには限りがある」となっていて、そのために目の前で起きたことを世の中の判断通り(ネガティブ)に捉えるのかもしれません。

どちらがいいとか、悪いとかではなく、ストレスに感じるか、チャンスに感じるか、幸せな機会だったと感じるかは、目の前の状況次第ではないのだと改めて感じさせられました。

私たちは誰もが、「純粋無垢で善良、罪のない存在」ですから、出来事がどのような見かけを取っていたとしても、目の前に起きてくることは「祝福」以外はないんですよね。

それがどう見えたとしても、それは罰でも足止めでも、邪魔でも、降って湧いた不運でもなく「祝福」なんですよね。家族や友人と愛を確かめあう機会、人のありがたさに気づく機会、自分の素晴らしさに気づく機会、そうした祝福なんですよね。

それが、いわゆる

人生にはいい事しか起こらない

という意味なんですよね。