自分は不十分だという心を癒すと起きること

今日は、最後のレッスンだったクライアントさんがいらっしゃいました。

昨夜から、どうしたら最後のレッスンで、今回、受講された目的を果たせるようなレッスンができるんだろう、といろいろ奇跡のコースの教材を復習していました。

私たちは不安があると、自分でなんとかしないとと思って、それを「自分の行動」で埋めようとするところがありますよね。

コースのノートやテキストを復習をしても、録音を聴きながらそのまま寝込んでしまっても、明日はこのままで大丈夫?・・・という想いはそのままでした。

 

目が覚めて、それでもまだ準備不足のような想いが拭えず、そもそもなぜ、このレッスンのためにこんなに準備をしようと思っているのだろう・・・とその心を瞑想後に見つめてみると、そこには「自分が癒し手として不十分なのかもしれない」そういう想いが出てきていたことに気がついたんですね。

 

振り返ってみると、このお仕事をずっと続けてきて、自分で気がついていてもいなくても、何度もこのような想いが湧いてくることがあったと思います。

「自分が他の人を癒すために不十分かもしれない。」

そのような自分に対する疑いがあると、クライアントさんが癒されないことが、自分の責任のように感じてしまうし、このお仕事をしていること、来ていただいていること、お金をいただいていることに罪悪感が出てきてしまうんですよね。そうすると、必ず、結果を出さなければという想いから頑張りすぎてしまうということがあったと思います。

そして、やっぱりそのような結果を見ていくこともありましたし、心にわだかまりが残っていくこともありました。

 

それで、今日も、お祈りをすることにしました。

私自身が、自分は他の人を癒すのに不十分だとみている、その想いを取り消してください。

というお祈りです。

そして、今日は、ちょうど奇跡のコースのレッスンの235で、

わたしは、自分を傷つけるように思えることのすべてをただ見つめ、「神は、わたしがこのことから救われることを意図されている」と完璧な確信を持って自分自身に言い、単にそれらが姿を消すのを見守るだけでいいのです。

というお祈りがありました。

そして、ただそのお祈りをして、わたし(自我)が何かしようと思うこと、わたし(自我)に準備させることを手放し、ただ、わたしの誤った想い、「自分は不十分だという想い」を取り消していただくことをお任せしました。

 

本当にありがたいことに、今日のレッスンはとても、とても、うまくいきとっても喜んでいただくことができました。

わたし自身は何もしていないのです。

これをしたらうまくいくというプランも計画もありませんでした。

もちろんレッスンを受けてくださったクライアントさんが大変に高い気づきの力を持っていらして、癒されることにコミットされていたところにわたしが現れただけだというともあると思うのですが、本当に素晴らしい時間になりました。

素敵な笑顔が見られて、本当のその方のうちの愛に触れることができて、シェアできて、ご自身の中で何かが腑に落ちた感覚があることを伝えてくださって、本当に本当にこちらがありがたかったです。

 

わたしが何かをするのではなくて、足りない何かを埋めるために頑張るのではなくて、わたしの間違った想い、

「わたしは他の人を癒すのに不十分かもしれない」

という想いが祈りによって正され、心が正されると行動も正される、つまり、訂正された心が自然にわたしの行動を「正しく」導くのかもしれませんし、

わたしは不十分という心が訂正され、その正された心が「誰にも不足はない」という真実の世界、「奇跡」を見せてくれたのかもしれません。

 

奇跡のコースなどの理解、勉強のスキルレベルで言えばわたしはまだまだ足りないところばかりなのですが、そのスキルが完璧でなくても、ただ「他の人を癒すのに自分は足りていない」という間違った心を訂正していただけば、わたしもクライアントさんも「誰も何も欠けていない状況」を、奇跡を、目撃できるという体験をいただきました。

 

「あなたは欠けていません」

「あなたは癒し手として欠けていません」

そのメッセージを「何も欠けてはいない」クライアントさんの方がわたしを救うために運んできてくださったのかもしれません。

本当に、ありがたかったです。

 

「本当にうまくいくセッションというのは、双方に恵みがあり、双方に癒しが起きる」

メンターである、アラン・コーエン氏がそう教えてくださったことを思い出します。

 

私たちはスキルや知識が自分や誰かを救ってくれると、ずっとそう思ってその足りない何かを埋めようと頑張ってきていますよね。

けれど「自分は足りない」「自分は〜をするには不十分かもしれない」というただその不足の思いをお祈りで訂正していただけば、それだけで、自分もお相手も何も欠けてはいない、という世界を見ることができるんですよね。

わたし自身が、大切なことのレッスンを受けたような、本当に素晴らしい体験でした。

 

この先、どんなことをする時も、誰と関わる時も、自分はこのことについて「スキルや学びや学歴、経験が不十分かもしれない」「相手にとって不十分かもしれない」と、そういう不足の心が生まれた時は、まずはお祈りして「心」を訂正していただくということを欠かさずにいたいと思いました。

 

自分は欠けていない。

その祈りによって訂正された心だけが、「欠けていない現実」「奇跡」を見せてくれるのかもしれません。完璧なスキルや豊富な経験や立派な学歴や、賞、外見やお金やその他の何かではなくて。

 

改めて、大切な気づきを体験させていただいたことに心から感謝いたします。

 

そして、Feliceとしては残り少ないですが、これからご一緒くださるみなさんと共に、何も欠けてはいない皆さんと、わたしと、世界を見ていけるよう、わたし自身の心を訂正し続けていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。