人を信頼できない時、どうしたら信頼できる?

人を信じられない、異性を信じられない、という悩みを持っている人は少なくないと思います。

そんな時、私たちのマインドは、過去に誰かに〜をされたから人を信じられなくなった。父が浮気をする人間だったから、私は男性を信頼できなくなった。テレビドラマや誰かから聞いた話で男性は浮気すると聞いたから。人は裏切る、過去に裏切られただから信頼できない・・・

そんな風に、過去に理由を探そうとします。

 

例えば、浮気を心配するのは、父が浮気症だった上に、パートナーが他の異性とやたらと仲良くしているからだと考えたりするんですね。

私もその一人でした。

けれど、ある時、一冊の心理セラピーの本を読んだんですね。

そこには、

あなたが浮気っぽい性格だから、相手が浮気するのではないかと不安になるのです。

とあったんです。

そう考えてみると、私自身がちょっとのことで気持ちが移ろいやすく、確かに昔のパートナーに「八方美人」「誰にでも良い顔する」と言われたことがあったことを思い出したのです。

自分の心の移ろいやすさ、いろんな人に好かれたいという思い、自分を愛してくれる人や認めてくれる人をいつでも探し求めていた、そういう思いを相手に投影して、相手の浮気を心配してしまったんですね。

何よりも、パートナー以外の異性にも素敵な部分、リスペクトできる部分があると心が「キラキラっ」とときめくような思いが湧き上がることを感じたことを思い出したんです。

その自分の中の、パートナー以外に感じてしまった、そのときめき(だからと言ってそれ以上進めるわけではありませんが)に罪悪感を感じていたんですね。

そういう自分の心を信じられない思いが、パートナーに対しての不信感や疑いとして現れていたんですね。

 

こうしたことはすでに忘れ去っていたことなのですが、最近、他の人に対する不信感というのは本当に自己不信が原因なのだということを体験したんですね。

実は、最近ガレージでちょっと車をぶつけてしまったんです。

その理由は、障害物を避けようとしたところハンドルを取られ、

「コントロールが不能になってしまったから」

です。

これが初めて車をぶつけた体験です。

 

それから、何が起こったか予測がつく方もいるかもしれません。

それ以来、ワンちゃんの散歩に行って私たちの側を車が通ると、停車中でも怖い気持ちが湧いてくるようになってしまったのです。

駐車しようとしている車が停車したり、超低速で車を移動させていても、

「いつ間違ってこちらに向かってくるかわからない」という恐怖感が湧いてきてしまったんですね。

これまでは、停車中や低速の車には全く恐怖感はなかったのですが、

車を運転している人が信じられなくなってしまったのです。

運転手さんが間違って運転してしまうかもしれない。彼らの意思に反して突然コントロール不能になってもしものことが起きたら、と彼らの運転を信頼できなくなってしまったんですね。

 

車が怖い、他の人の運転が信じられないと思った時、

自分が運転ミスしたことで、「自分の運転が信じられなくなったから」だ。

そう気づいたんです。

 

スピリチュアルな世界では

人が信じられないのは、自分のことが信じられないから。

とよく言います。

 

それは私たちにとって、「本当の救い」と言えるのではないでしょうか?

人が信じられないのは、その相手の問題ではなくて自分の問題だとしたら、裏切られたり、人が怖い、信頼できないということを乗り越えられるからです。

 

本当のところ、

『自分が恐れているのは、他人ではなく、自分自身』

だということです。

自分が他の人を怖れているのは、自分中の攻撃的な思い、つまり、人を批判したり、意地悪な気持ち、ちょっとした意地悪をしてしまうこと、人をバカにしてしまったり、やりかえしてやろうと思ったり、自分の正しさを証明するために相手をやり込めようと思ったり、足を引っ張ったり、嫉妬したり、恨んだり、差別したり、厳しく裁いたり、幸せな人を祝福できなかったり、成功者を否定したり、そういう自分の中にある「エゴ」の思いを他の人もまた持っているのではないかと思うからなんですよね。

 

もっと言えば、人を怖がり信頼できないのは、自分自身をエゴだと思っているからです。

自分を愛ではなく、「エゴ」だと思い、そのエゴを出会う人に投影しているから人が怖い、信頼できないと思ってしまうんです。

私たちの脳というのはそんな風に物事を知覚していきます。

 

では、人が怖い、信頼できないという状況をどんな風に乗り越えていけるでしょうか。

それは・・・

『許すこと』

です。

 

私たちが、自分の人生において出会う人で、その人が表現していることで「許せないこと」というのは、自分もまたその人のようだと信じていることです。

誰かに対して許せない。信頼できない。

と思っている時、それが意識でわかっていても、意識上には登っていなくても、

自分はその人のような人間だ

と脳は認識しているんですね。

 

ちなみに、「本当に」自分がそういう人だという意味ではなく、自分のことをそういう人間だと、その許せないような人だと自分のことを脳はそう解釈してしまっているということです。

だからこそ、そういう行動を自分もとってしまうようになるんです。

 

例えば、自分は「失礼な人間」が許せないとします。

そんな時、だからこそ失礼な態度を自分は取らないように気をつけているとしても、潜在的には「自分=失礼な人間」だと信じてしまっているので、細心の注意を払っていても、気をつけていない部分でなぜだか「失礼なこと」を人にしてしまうようになります。

脳は、

こんな人が嫌い=自分はそういう人

という図式になっているんです。

そして、その通りになるように無意識に行動します。

 

そして、この脳の素晴らしい働きは、

嫌いな人を許す=自分はそういう人ではない

という風に解釈するようになり、自分をそういう行動を無意識にしてしまうことから解放してくれるんです。

さらに素晴らしいのは、罪悪感が減り、自己価値が上がっていき、自分に幸せを許せるようになるということです。

 

つまり、潜在的には「失礼なことをする自分になんて価値はないし、幸せになってもいけない」となっており、それゆえ、「自分は失礼な人間だから、価値はない、幸せになれない」となっているところ、

目の前に現れた「失礼な誰か」を許すことで、一足とびに

自分は何をしても失礼な人間ではないから、価値があり、幸せになっていい。

何をしてもしなくても愛される。何をしてもしなくても幸せになっていい。

という方向に脳のプログラミングを変えることができるんです。

 

こう考えると、許す必要のある人が目の前に現れるのは、

「自分はそんな風に邪悪な存在ではない」ということに気づくためなんですね。

許す必要のある人というのは、「罪悪感を消し、幸せになっていい」と自分に許可するために送りこまれてくるんです。

私たちは愛であり、純粋無垢であり、寛大で、信頼でき、優しい存在です。それが私たちの本当の姿です。

そのように自分を無実で、全き愛であり、無垢だと認識できるようになれば、必要以上に人を怖がったり、不信感を持ったりしなくて済むようになります。(これは身体を持って生きている間の長い長いテーマですね!)

自由に思い切り自分を表現できるようになります。

 

さて、テーマになっている「人を信頼できない」についてですが、目の前の人でも、パートナーでも、信頼するのが難しいと思った時、

『その相手からの愛を受け入れてください』

ちゃんと受け取ってください。愛されている愛を受け入れてください。
すると、相手は信頼できる人になっていきます。

 

その人を信頼できない時ほど、相手をコントロールすることがあります。信頼できない時、怖いから、安全な存在でいてもらうために、何かを与えることで相手をコントロールしようとしてしまうこともあります。

愛に見せかけたものや、お金、物などを与え、貸しを作って、コントロールしようとしてしまうこともあります。(無意識の場合がほとんどです)

けれど、人を信頼できない時は、相手をコントロールしようとするのではなく、信頼できない時こそ、疑わずに「相手の愛を受け入れる」んですね。

与えることで、他人をコントロールすることに慣れていると、逆にコントロールされることを怖れて「愛を受け取れない」ということが起こります。相手の愛を見ない。ということをしてしまうんですね。

すると、関係が本当にこじれていきます。やっぱり人は信頼できないじゃないか!という結果になります。

けれど、人を信頼できない時こそ、思い通りに動いてくれるようコントロールしたり、与えてコントロールするのではなく、愛を受け入れる、受け取ることにオープンになることが大切です。

愛を欲しがって、奪おうとするのでもなく、与えてお返しをせがむのでもなく、ただ、与えられている愛に気づいてそれをちゃんと受け取っていくということです。

相手を愛さないと、愛されるために・・・とこれ以上頑張る必要はないので、

ちゃんと愛されること。

をしてみてください。

 

信頼できるとわかったから、信頼するのではなくて、相手をコントロールできれば安心できると思うのではなく、

「相手を信頼してみる」つまり、相手の愛を受け入れる、という自分の思いが、信頼できる、安心できる関係へと変えてくれるのですね。

それほどの力が、私たちの心にはあるんですね。