与えるものが自分の中で増えていく

スピリチュアルなことに触れていると誰でも一度は、

「自分が与えるものを受け取る」

そう聞いたことがあると思います。

 

例えば、誰かに対して憎しみを抱いているとき、自分の心はどうなっているかというと、すごく苦しい気持ちを感じていると思います。

そして、その相手を許した時、自分の心の苦しみがふと溶けるのを感じると思います。

執着している相手にしがみついている時、自分はとても苦しいと思います。しかし、相手を自由にさせた時、自分もまた自由になっていることに気がつきます。

誰かを大切に思い、優しい気持ちから行動する時、まさに自分自身が優しさという心地よさを感じていますよね。

自分の中の怒り(罪悪感)から誰かを攻撃する時、その罪悪感は相手に手渡され、自分の中からなくなると思いきや、自分の中にさらに増えていくことになります。

与えるものを受け取る。

とは、そのことです。

 

与えることが大切だ。

いろんなところでこの言葉を聞き、このことを考える時、では自分が欲しいのならまずは与えればいいということね。

と、“与えること”を実践しようと思う方も多いと思います。

 

誤解がある方も多いと思いますが、実は、

持っていないものは与えることができません。

持っていないものをあると思って、与えていると思っているのですが、そもそも持っていない(欲しがっている)ので、与えることができないし、何も増えることがないし、受け取ることもできないんです。

愛が自分の中にないのにも関わらず、“愛のふり”をして誰かに与えると、何が起こるかといえば、自分の中に空虚さと怒りが生まれるということです。

愛がそもそも自分の中にないと思っているのに、愛しているふりをすれば相手から愛のお返しがあると思って、相手に働きかけると、愛が返ってくるどころか、最終的には愛が返ってこないことに怒りや失望を感じるでしょう。

これが多くの人がスピリチュアルなお話を知ってからも誤解している部分だと思います。

というよりは、誰もが、愛を欲しいと直接言ってももらえないという傷ついた体験をすると、では愛しているふりをすればいつか愛が返ってくるのかも、と無意識にやってしまっていることかもしれません。

 

与えたつもりになっていても、それが実際にものを与えたり、サポートだったとしても、自分の中が空っぽで見返り(愛や承認、お金)が欲しくて与えていたとしたら、空虚さが増えていくということです。

納得いく方も多いのではないでしょうか。

与えても、与えても、自分の中に増えていかない。

誰かに何かをしてあげたのに、自分は一向に満たされることがない。相手も次から次へと欲しがるばかり。

その時は、持っていないものを何かしらの理由から(責任感、義務感、飢餓感などから)無理に与える“ふり”をしていたということなんです。

ないものは与えられないんです。

本当は自分もギリギリだったり、もう無理なのに、しぶしぶ仕方なくとか、相手の期待に応えなければとか、責められたくないとか、相手からリターンが欲しいとか、嫌われたくないから与えるとか、それは本当に残念ですが、与えていないのと同じなんですね。

だから、枯渇していくように感じるし、辛くなるんですね。

特に、セラピストをされている方やスピリチュアル系に興味のある方というのは面倒見の良い方も多いと思います。

そんな中で、欲しがる人ばかりを引き寄せがちだという方も多いかもしれません。ちょうだいちょうだい、と愛を欲しがり続ける人です。

それは、もしかしたら、責任感や義務感から与える「フリ」になってしまっているから、相手の中にも自分の中にも何も増えていかず、枯渇してしまっているのかもしれません。

どれだけ相手に時間を注いでも、エネルギーを注いでも、それが愛ではなく、義務感や責任感から生まれたものだと、残念ですが、自分の中でも相手の中でも増えていかないんですよね。

そのような場合は、「今はもうできない」という正直な言葉を“罪悪感なく”伝える、つまり「正直さ」という愛を相手に届けることが大切かもしれません。そうすることで、自分に自由さやスペースという愛が返ってくるはずです。

 

本当の意味で与えること。

というのは、実は背後にある「想い」、つまり本当の愛の思いをそのまま送ることであって、ものだったり、お金だったり、サポートだったりというのはそれを乗せていく道具なんですよね。

愛が乗っていない、言葉も、物も、お金も、サポートも、サービスもそれをいくら送り届けても何も増えていかないんですよね。増えるのはむしろ怒りです。空虚さです。倦怠感です。罪悪感です。自分の中も持ち物もエネルギーも空っぽになっていくだけです。

多くの人は、もしかしたら「罪悪感」や「義務感」を乗せてしまっているのかもしれません。「飢餓感」「欠乏感」「無価値感」を乗せてしまっているのかもしれません。

愛、を語っていると思いきや、あなたがいない私になんて価値がない・・・あなたがいないと生きていけない、という罪悪感や無価値感を相手に送り届けているのかもしれないということです。
(よく、あの人の愛は重い。という表現をしますよね。それは愛ではなく、無価値感や罪悪感を与えてしまっているからかもしれません)

義務感も、責任感も、罪悪感も、欠乏感もすべて怖れです。

そこから何かを「与えた」としても、何も増えていかないんです。相手にも、自分にも・・・

本当に与えた時にだけ、自分の中にも増えたことが感じられる。

それは自分が一番わかることなのかもしれません。

 

与えたものを自分が受け取る。

とは、本当に本当にそのままの意味で、「与えていない」ものは入ってくることはないということなんです。

ですから、欲しいから先に与える。というのは、与えていないのと同じで、自分の中からどんどん減っていくし、リターンも得られないんですよね。

欲しがっている時点で、自分には何も欠けていないこと、自分の中にすでにある愛に気がつけていないので、まずは自分は欠けていないということ、自分の中の愛に気がつく、触れる、ということが本当に大切なんですよね。

 

自分の中にあった愛に気づき、その愛を与えたら、愛がやってきて、愛がどんどん増えていく。

そんな体験を積み重ねたいです。

 

お仕事、お金、人間関係がうまくいかない・・・

そんな時は、自分は「真に与える」ということをしている?と思い巡らせてみたいですよね。