もっと愛されるためには?

数年前ですが、ある無名の演歌歌手の女性がドキュメンタリーに出ていました。

彼女は50歳近くで、未婚、一人っ子で、すでに両親は他界していたそうです。

そのテレビの中で何度となく彼女は「私は天涯孤独で・・・・」と繰り返し自分は運命の被害者であるかのように嘆いていました。

それをいつもそばで聞いていたマネージャーの男性はとうとうしびれを切らし「あんたいい加減にしろ!何年も不満ばかりでそんなことを言っているだけでなにもしてないじゃないか!」と怒り出しました。

それから、彼女も考え直したようで少し前向きに取り組むようになっていきました。

このやり取りを見ていて、マネージャーがいつもそばで見守って、そういう愚痴を何年も聞いてくれてきたことに気づいていなかったんだろうな・・・・と思ったことを覚えています。

この演歌歌手の女性の姿というのは、何も彼女だけに限ったことではなく、不平不満ばかり言う人と焦点の当て方は同じなんですよね。

不平不満というのは、本当はあるはずのものに気がついていない時に出てくるのだと思うのです。

本当に本当に、この歌手の方は孤独でしょうか。

いつもそばにいるマネージャーはどうでしょうか?

聴きにきてくれるファンの人たちはどうでしょうか?

 

私たちの多くは、愛がどこからやってくるべきかということを決めてしまいがちです。

 

私の両親は私が小さな頃に離婚し、母もその後恋人ができ中高校生の頃など私はほとんど放って置かれていた時期がありました。

そんな時、私に愛を注ぎ続けてくれたのは担任の先生でした。いつも気にかけてくれ、時には他の教師たちから守ってくれ、先生には家族もいたのですが、「うちで引き取ってもいいから来たかったらきていい」と言ってくれたこともありました。

そして、私のことを慕ってくれた友達もたくさんいました。

当時の私は完全に傷ついていて、先生の温かい言葉に耳を傾けるよりも、大人たちに対してものすごい怒りを持ち反発ばかりしていたように思います。

今思えば、欲しかった関心や支えは母親からは得られなかったのですが、他の場所からはちゃんと得られていたんですね。それに、母に放って置かれていたおかげで私も自由に遊びに行っていたので良かったこともあるんです。

私たちの多くは「親(家族)にこそ愛してもらいたかった」という思いが強くあると思うんですね。それはなぜかというと、親(近しい家族)というのは実は子供にとって初恋の相手のようなものだからです。

子供というのは本当に大好きになるんですよね。

だから、その大好きな人から完全に満たされるまで愛が欲しい。そんな風に思うんです。

でも、それが思うように叶わない。それで傷ついてくるんですね。

親(大好きな家族)から愛されてこなかったから「自分は愛されない人間」という思いが癒されていないままだと、それがパートナーシップや人間関係にも引き継がれるんですね。

①自分は愛されない。

そして

②自分が決めたその人からの愛でなければダメ

という思いに苦しみます。

 

その部分を癒していくために、

愛して欲しかった相手が自分を愛してくれなかった時、自分を愛してくれたのは誰だろう?

と考えてみることが役に立つんですね。

そうすると、絶対に誰かしら見つかるんです。

ペットかもしれませんし、友人や先生たちかもしれません、ネットゲームの仲間かもしれませんし、SNSのフォロワーさんかもしれません。

この宇宙で愛がどこからも全く注がれないということはないんです。

そばにいても、いなくても、誰か一人は自分を愛してくれているはずなんです。

それがこの宇宙なんです。

愛されたい人に愛されることで初めて自分を愛されるん人間だと認識するのではなく、誰かが自分を愛してくれているのだから、自分は愛される人なのだと気づいていくことが大切です。

実際、パートナーシップで満たされている人というのは愛の源を多く持っているものです。

自分を愛してくれるのは夫だけとか、彼女だけとか、そんな風に愛の源が狭まっていなくて、例えば、友人とか家族とか、同僚とか、愛の源がばらけていることが多いですよね。

いろんなところから愛を受け取ることができると、お互いにプレッシャーもないですし、自由に感じるからかえって、もっと関係したいと思うんですよね。

 

「自分には必要な愛がやってきていた」

「自分は愛される人間なんだ」

そんな風に思えるようになると、「自分=愛される人」となって、愛されたかった人からも愛されるようになったりします。または、愛してくれない人は去っていきます。

自分は愛されない。

というところにあえてフォーカスを当て続けると、それが引き寄せの起点になるので、「自分は愛されない」という出来事がどんどん具現化していくんですね。

でも、まずは自分が愛されたいと思っている人からではなくても、自分は愛されているという証拠を周りに丁寧に見つけていくと、自分の人生にもっと「自分は愛される人」だと感じられる体験が増えていきます。

もっと愛されるためには、愛されるような人間になる必要はなく、ただ、自分が愛されてきた、愛されているという部分にフォーカスを当てればいいだけなんですね。どんなに小さな体験だったとしてもです。

ですから、例えば、冒頭の天涯孤独と嘆いていた方の例であれば「マネージャーがいてくれるな」とか「ファンの人たちがいっぱいいるなぁ」とかそちらにフォーカスが向いていけば、生涯を共にするパートナーができたりして、天涯孤独という状態からも脱することができますよね。望んでいらっしゃればですが。

他にも、パートナーを求めている方も「自分が愛されてきた人」と認識できれば、自分を愛してくれるパートナーと出会える可能性にずっと近づくことができるんですね。

「愛されている」というところにさらに愛がやってくるんですね。

それがこの宇宙なんですね。

「ない」と思った時は、別の形で「ある」はずなんです。

だから、その「ある」に目を向けていくと、自分のみる世界には「ある」が増えていくんです。

私たちの多くは、「ない」ところに意識が向きがちなんですね。それを、繰り返し繰り返し「ある」に意識が向くようにしていくと「愛がある」ところにばかり目が向いていき、自分にとっては愛がたくさんの世界になっていくんです。

これは、スピリチュアルの話だけというよりも、私たちの脳の働きでもあるんですね。

愛されるためには、愛されていたたくさんの過去が必要なわけではなく、愛されていた、愛されているという認識ができれば良いだけなんです。

自分に自分の世界を創造できる力があると言うのは、自分が愛を見るか、そうでは無いものを見るか否かと言う選択のことでもあるんですね。

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この記事を書いていたら、ちょうど今、黒柳徹子さんやなかにし礼さんが出演している、オペラ歌手マリア・カラスのドキュメンタリー番組の中で、カラスの恩師であった「イダルゴ」が「母から愛されていなくて孤独だったカラスを特に可愛がり、私生活の面倒まで見た」という話をたった今、しています!シンクロですね。

お母さんに愛されなくても、先生に特別に愛されていたんですね。お母さんに愛されていなかったことで、先生(著名な歌手)に可愛がってもらい、逆にそれがあったおかげで先生から学び尽くすことができ、伝説の歌姫になるきっかけになったのかもしれないですね。

親に愛されなかったからといって、何も諦めることなんてないということです。
天はいつも、その人を導くために必要な人がその人に愛を与えるようプランするのかもしれません。

それが、扉が開いている場所へ入っていくということです。

愛が流れてこない閉じている扉の前で待つのではなく、愛が誘っている場所で愛を受け取ったらいいんですね。

カラスはお母さんに愛されなかったからこそ、母に愛されようとしてものすごく歌を頑張ったそうです。それで伝説に残る大歌手になり、当時や今も世界中の人から愛され続けているのなら、母が彼女を愛さなかったことも間違いではなかったのかもしれません。

結局のところ、人生は何も間違っていないということなのです。