何のために奇跡のコースをするの?

日々、奇跡のコースを学び続ける中で自分が誤解していた事、理解できていなかった事がたくさん出てきます。

学べば、学ぶほど、わからないところが出てきますよね。

 

二元論をベースとしたスピリチュアルな考え方を元に書いたブログ記事で、コースを理解する上で混乱を招いてしまう可能性のある過去の記事を少しずつ削除しはじめました。

一元でも二元でもどちらでも良いと思うのですが、「ゆるっと奇跡・・・」ってせっかく書いたので、出来るだけ、奇跡のコースの考え方である一元論的な考え方(神と私たちは一体という考え方)を残していけたらと思います。

 

 

最近、朝起きると心に湧き上がっている想いを書き留めるようにしています。

特に何か外側の出来事があったわけでもないのに、朝起きると

〜に対して恐怖を感じる。とか

〜を失う怖れが心の中にあった。とか

神の愛を自分は怖れている。愛を受け入れたら私は居なくなってしまうのではないか。とか

心に湧き上がってくるんですね。

 

そういう心に湧き上がる想いを書いて、その後その日のレッスンに入っていくということをしています。

すると、驚くべきことにその日のワークのレッスンがまさに自分の心の中に湧き上がっている怖れや疑問などとリンクしているんです。

まず自分の心を丁寧に見て、何がそこにあるのかを見て、それを癒したい、そのための助けがほしい。そう望むと、その日のレッスンもそうですし、1日の流れの中でそれにまつわるあれこれが私の目の前に情報としてやってきてくれる。ということを経験しています。

 

同じ経験をされている方も多いかもしれません。

それだけでも、奇跡のコースを続ける意味がありますよね。

 

奇跡のコースを実践しようと思う時「今見ている世界が良くなってほしい」「見える景色が変わってほしい」「体験を変えたい」と思って始める方も多いと思うんですよね。

そして、確かに「心」が変わるので体験も変わるし、見えるものがこれまでとは違う動きをするということもあるし、人間関係が良くなったり、身体の病が治癒するということも起きてくることもあるんですよね。

ただ、私自信も気をつけなければと思っている点は、奇跡のコースは「外の世界を変えることを目的としていない」という点です。

目に見えている世界を自分の思い通りにしたい、という考えそのものが自我(エゴ)の怖れから生まれる思いだからです。

奇跡のコースはあくまでも「心」の平安を目標にするものなんですよね。

そして、平和な心になった時に見えてくる景色はそのままかもしれないし、異なるものになるかもしれない。というスタンスでいるという事が大切なようです。(絶対に外の世界を変える!と思うことは外側の世界をリアルなものと思うことだし、外の世界が自分に影響を与えると思うことだからです)

 

私が、コースのことを初めて知った頃、こんな風に教わった事があります。

 

心の平和を一番にすると、すべてがあなたのもとにやってくる。

仕事も、お金も、人間関係も、健康も・・・

それらは心の平安についてくるものだから、どれか一つのために心の平安や他の何かを犠牲にしなくていい。

必要なものは、この世界で身体を持っている限り供給され続ける。

なぜなら、身体を持っている間に地上的なものが必要なことも神は知っていてくださるから。

 

「神に明け渡すと、恩寵が現れる」そんな風に、聖者ラマナ・マハルシ(一元論の現代の第一人者)は表現されていました。

 

私たちが奇跡のコースを続けていく時には、たくさんの抵抗が現れると思うんですね。自分という「個」が無くなってしまうことに激しく抵抗したくなるんですよね。

私もなんどもエゴの誘惑に遭遇しています (笑

 

結局これが何のためになるの?とか、自分でほしいもののために何とかしたほうが早いとか、愛着のあるものも諦めないといけないの?とか、他のメソッドの方がいいかもとか、突然、虚無感のようなものがやってきたりとか、いろんな抵抗が訪れるんですよね。

 

でも、いつの頃からか「自分(自我)で何とかするなんて無理だったんだ、だから苦しかったし、うまくいったと思ってもすぐ手の中からすり抜けていった」っていうことを受け入れはじめたんですよね。

もう自分では頑張れなくなったというのが正しい表現かもしれません。

自分を自我だと思って、その罪悪感を世界や人間関係や状況、自分の身体に投影する人生が嫌になったとも言えます。

それに、ホーリースピリットと一緒に生きるほうが簡単だし、楽しい。ですよね。

たとえ全てを委ねても、本当に大切なもの、必要なものを神が私たちから奪いさるはずもありません。だって、神とは真の自己なのですから。

 

本当の自分である「神」に委ねる人生というのは、自分を本当に信頼するという意味ですよね。

 

今、どこで何をするような人生であったとしても、神についていく人生にしたいです。

自分の心が正しい位置にあることを逐一確認しながら丁寧に生きたいです。