あなたは神の会社の社員です

今日も少し、お金の話です。

先日も、『神のくださるアイディアと共に、お金や人材、場所、時間、物質、サポートそういったものがやってきます。』

というお話を書かせていただきました。

仕事、と考えた時、私たちは会社などで勤めているか、または自分で経営するかということに大まかに分かれると思うんですね。

それで、会社に勤めている時というのは、多くの場合、会社が色々と指示を出してくれて、それでお給料をくれて、会社によっては福利厚生などで手厚く守ってくれたりすると思うんですね。

ある意味、少し安心感があると思います。

頼っていて大丈夫というか、少し、安心できると思うんですね。

 

では、自営業というのはどうなんだろう。ということですよね。

私がある日の瞑想でいただいたビジョンというのがあるのですが、その時、自分で経営をすることを考えた時に誰でもが感じるであろう、不安定さや不安感というのはどうなんだろう、と少し思うことがあったんですよね。

すると、スピリットは、

あなたがたは、神の会社の社員です。神があなたの雇用主です。

というはっきりとしたメッセージを送ってくれたんですね。

そのメッセージと共に、その不安定さというのが全くなくなって、寄りかかっていられる安心感というものを感じたんです。

 

神という雇い主は、神のために働くこと(世界に喜びや愛を増やすこと)で必要なものをなんでももたらしてくれるということですね。

その必要なものというのはお金かもしれないし、家かもしれないし、物かもしれないし、とにかく「自分に本当にその時に必要なもの」を与えてくれるということなんです。

「神のために働く」というと、“無償で奉仕”しないといけない?とか、清貧の誓いなどが思い浮かんでくるかもしれませんが、現在、みんなが思っている清貧の思想というのは、「神」が与えたアイディアではなく、昔の宗教団体がお金を持つためのアイディアだったのではないでしょうか。

信者には清貧を説いていますが、教会や宗教団体自体は膨大な資金、それどころか膨大なお金を投じて軍事力を持っていたり政治家と癒着して金銭の授受をしている団体もあります。

また、私たちの中には集合意識があり、「お金はスピリチュアルではない」「精神性が高い人はお金を求めない」という思い込みが根深く刻み込まれています。

けれど、「神」は私たちに、貧しくいるよう求めてはいませんし、豊かでとてつもなく素晴らしい存在として私たちを創られました。私たちは、神のために働くということと、清貧の思想をしっかりと切り離す段階にきています。

神のために働くというのは、質素な奉仕者という意味ではなくて、もっとずっとエキサイティングだし、クリエイティブだし、本当に自由だし、やりがいがあることなんです。

そして、働かなければお金がもらえないというわけではないんです。

つまり、神の会社で働くというのは、時には道に迷っている人を助ける、とか、犬の遊び相手をする、とか、一枚絵を描いてインスタに載せるとか、そういうことをしたいと思ってしていても、お金かもしれないし、食べ物かもしれないし、必要なものがあれば、とにかくどこから何かが届くということなんです。

 

働かなければ、お金は得られない。

という概念は神の会社の社員にはありません。

遊んでいても、お金や、物が支払われるのです。

もっといえば、「幸せでいるだけ」で支払われるんです。

なぜなら、幸せでいることこそが神の望みだからです。

 

最近、本当に時代は変わろうとしているのだと、感じたことがありました。

それが、少し前に話題になった、以下のニュージーランド警察のツイッターです。

「歴史上初めて、テレビの前で寝転がっているだけで人類を救える、ヘマするなよ」

これは、外出自粛を呼びかけたツイートです。

人を救うには、一生懸命に働き、動き、行動する。自己犠牲を払う。

そんな風に誰もが信じていました。

けれど、私たちがこれまで根深く信じ込んできたことというのは絶対ではないということが明らかになったのです。

 

私たちの多くは資本主義の社会で育っていますから、とにかく「働く」そして、「もっとたくさん働く」ということとお金が結びついています。

だからこそ、お金に困っていると、

頑張らないから、努力しないから自分は貧乏なんだ。

と、思ってしまうんですよね。

 

だから、もっと頑張らないと。もっと努力しないと。

でもできない・・・

だから、自分はお金がなくても仕方ない。

頑張らない自分なんて貧乏でも仕方ない・・・

そんな風に自分を責めたり、それを受け入れてしまうんですよね。

 

でも、それが根深い「思い込み」だったとしたらどうでしょう?

頑張らないとお金は得られない。

頑張らないから、努力しないから貧乏でも仕方ない。

それは、単なる思い込みだとしたら?

 

本当は、一つの概念に過ぎないのですが、みんながそれを共有しているんですよね。

日本が戦争の時代は、生産力をキープするために「覚醒剤」を使って、労働者を寝ずに働かせたと言います、もしかしたら兵隊さんたちもそうだったかもしれません。

寝ずに働く、とにかく頑張る。

そういうやり方で確かに今の日本の経済の豊かさがあるのかもしれません。発展はそのおかげだったのかもしれません。

ただ、以前も少し書かせていただきましたが、

マザーテレサが日本を訪れた際「日本は裕福だけれど人々が幸せそうではない」とお話しされていたと、その時そばにいたシスターがお話ししていたのをNHKの番組で見たことがあります。

 

頑張らないとお金を持つことはできない。

頑張らないとお金をもらってはいけない。

頑張らないと生活できない。生きていけない。

そういう根深い思い込み、信念を私たちは乗り越えていく時がきているんだと思うんですね。

数年前までは、とにかく頑張らないといけないからといって、頑張れた人たちも、今は頑張らないといけないのはわかるけれど、もう頑張れない、という段階になっている方も多いと思います。

 

お金の問題を乗り越えていこうと思う時、

頑張らないとお金を稼げないと思っている自分と、でも頑張れないという自分、頑張りたくないけど、頑張らなくてもうまくいくことが信じられないから頑張ることをやめられない自分とが葛藤を起こすと思うんですね。

 

あるグル(精神的指導者)は、

「私は1日に25時間働く。なぜなら頑張っていないからだ。」なんて話していたんですよね。

頑張らないで、それでも25時間働いてしまう、その原動力やエネルギーはどこからきているのかといえば、「神」なんですよね。「愛」と表現してもいいかもしれません。

私たちにはきっとしたいからずっとできてしまうこと。がちゃんとあると思います。なぜなら、神がそれを与えてくれているからです。

それを見つけてもいいし、それが見つからない時は、犬や子供と遊んだり、絵を描いたり、歌ったり、踊ったり、写真を撮ったり、その時々したいことをしていたらそれでいいのだと思います。

私たちは神の会社の社員ですから。