世の中の多くの人たちというのは何かしらのストレスを抱えて生きていると思います。
多くのスピリチュアルな教えでは、気分が良くなることが大切、心に安らぎがあることが大切、そうすることで自然と物事がうまく回っていく。欲しいものを引き寄せられる。
そんな風に言いますよね。
けれど、まだまだ世の中では「損得」を考え行動することが大切だという価値観があるんですよね。
お給料は高ければ高い方がいい、それがそんなに好きな仕事でなかったとしても・・・
高いより安い方がいい、それがそんなに好きな物ではなかったとしても・・・
そんな生き方こそが、本当は自分にとって我慢を強いるし、ストレスなんですよね。
負けるより、勝つことの方が大事、負けるのは損だから。与えるより、多く得ることの方が大事、この世の良きものは限られているのだから・・・勝つために、より多くを得るために自分や他の人をコントロールする。自然な流れより、自我のコントロール下に自分や他者を置いてしまうんです。
そうやって考え、生きることで心のときめきが影を潜めてしまうんです。硬直して生命力が溢れ出てくることを留めてしまうんです。
エゴというのは、すべてがうまくいく自然な流れに抵抗してしているんですね。
損得、効率、そんな風に「欠乏感」から生まれた考え方に従って生きていくことがストレスになるんです。
そのストレスが、心の安らぎや満足感から遠ざけてしまうのですが、私たちのエゴ(自我)というのは自分で主導権を握っていたいんですね。
自我というのは、自分がわかる範囲で物事を管理したいんです。
だから、例えばお給料が少し安めだけれど好きなことをしていれば豊かな気持ちになって、その豊かな気持ちがあらゆる方向からチャンスやら人やら、いろんな豊かさを運んできてくれるということを信じるよりも、多少我慢して、とりあえず目の前の仕事からそれなりのお金が欲しい。確実に欲しい。そう思うんですね。
結果は手放して、好きなことをして気楽な気分になっておく。
ということが自我にとっては脅威なんですよね。
ここに、引き寄せの法則が難しく感じる原因の一つがあるんですね。
目の前の損得を超えて、本当に、本当に、自分の今の心に忠実に生きていくということが怖いんですよね。
自由になってしまって、何も嫌なことをしなくなって、我慢もしなくなって、それでも食べていけるのだろうか。お金は稼げるのだろうか。勝ち負けを争わず、相手をコントロールせず、負かされてしまったら自分(エゴ)は大丈夫だろうか。生き残れるのだろうか。
そんな風に、本当は天(宇宙や森羅万象の力など)にお任せしてうまくいくことが怖くて、エゴは自分の手で握りしめていたいんですね。
今見ている世界の、これまで知っている世の中のいろんな基準に沿わずに生きて本当にうまくいくのか、そんな風に心のどこかで思っているんですよね。
私たちが本当に心地よく、幸せに生きていけるための物、情報、お金、それらすべてというのは目に見えないレベルではすでに存在しているんですよね。
ただ、私たちが「欠乏感」という怖れの思考体系、思考回路で生きていると、それが目に入らないんです。
私たちというのは、脳が選んだものだけを目で見ることができている(知覚)できるのですが、例えば思考が「我慢しないと稼げない。好きなことでは稼げない」そう信じていると、そういう情報しか目に入らないし、そういう現実しか見ることができないんです。
豊かさには限りがあると信じ込んでいると、そういう世界しか目に入らないんです。
本当は「ここ」にあるのに見えないんですね。
真実は、自分が相手に与えたからといって自分が損することもなければ、減ることもないし、誰かが豊かになったからといって、自分が損をすることもなければ、逆に自分の豊かさが溢れだすんです。
自分が体験していること=相手が体験していること。
だからです。
これが、私たちは一つという意味です。
相手を負かして、自分が勝つことはないんです。相手から奪っても、自分が豊かになることはありません。
自分が相手によって豊かになったのなら、相手も豊かに増えていっているはずなんです。
損得勘定というエゴの欠乏感から生まれる怖れが、分離を生み、ストレスを生み、貧困や不調和、不幸を創り出しているんですね。
時間も、絶対的なものではなく伸び縮みするし、無限にあります。
そういう世界は、焦っていたら見えてこないんですよね。
豊かさも、お金も、時間も無限にある。
そういう世界を見るために、損得や効率をある意味「あきらめる」と見えてくるんですよね。豊かな世界が。
損得や効率をベースに生きるということ=豊かさやお金、時間には限りがあると自ら証明しているのと一緒ですよね。
損得や効率に捉われなくなって、心がリラックスして緩んでくると、豊かな世界に自分が調和していくんですね。
私たちというのは、本当に愛されいて、すべて与えられている存在なんです。
そういうのを見ていくために、自我で管理したいという気持ちを少しずつあきらめていく。
自分のハートの声に従うためになら、世の中で言われている、負けや損を受け入れていく。
安いからと選ぶのではなく、好きだからそれが本当に欲しいからそれを選ぶようにしていく。
頭ではなく、心に聞いて生きていく。
怖いけれど、少しずつ、少しずつ、自分が守られていることを信頼して、
損得を少しずつ、効率を少しずつ手放して、我慢を手放して、自分自身のハートが本当に喜べること、安らげること、至福を感じることを大切にしていきたいですね。