祈りをとめることなかれ

「祈りをとめることなかれ」

これは、イエスの言葉です。

それは、一日中祈りを口にしていなければならないとか、丸暗記しなさいという意味ではなく、祈りの意識をずっと維持していなさい、というイエスからのメッセージです。(ちなみに、イエスというときは、宗教的なイエスキリストと言うよりも、本当の自分自身、高次の自己だと思っていいと思います)

お祈りの一番の目的は、その場しのぎの解決や懇願というよりも、私たちの内側の健やかさや豊かさ、魂の目的と調和している高い意識レベルを維持できるようにするということです。

もちろん、願いが実現したり、奇跡が起こることは付随してやってきますが、お祈りの大きな目的は、自分の中に神(無限の宇宙がある)がいることを思い出し続ける、その安らぎと安心の意識から離れない、ということにあります。

祈りの機能とは、私たちの意識レベルを足りないとか、自分は十分でないだとか、不安だとか、心配といったことよりも、私たちの輝かしい本当の姿、パワー、十分に満たされている、豊富さ、安らぎなどといった高い意識レベルに引き上げ続けておくことなんですね。

ですから、お祈りは、一年に一回神社に初詣に行って神様にお願い事するというイメージよりも、毎日、内なる神に会いに行って、自分が誰であったか、ということを思い出すイメージになります。

 

私たちは、少しテレビを見たり、スピリチュアルなことに興味のない人たちと世間話をしたり、愚痴を聞いたり、人間関係で気になること、お金の心配などがあると、容易に、意識レベルが下がってしまうこととかってあると思うんですね。

あれよ、あれよと言う間に、自分が誰であったかを忘れてしまうし、問題にとらわれてしまうし、問題のことについてずっと考えてしまうし、不安について、罪悪感について考え続けてしまったりします。

そして、人によっては、そうした嫌なことについて考えるのが嫌だし、不安を感じるのが辛いとか、罪悪感をごまかしたい・・・と思っていろんなものに依存したり、逃避したりすることもあると思います。

 

外に、外に、フォカースが向かうと、本当の自分からどんどん離れていってしまうんですよね。自分を見失うとはそういうことだと思うのです。

本当に、丁寧に、丁寧に、気づいて、また自分の意識が外にとらわれていたな・・・って内側に戻ってきたいんですよね。

状況が全く良くならないとか、変わらないとか、そんな時は、もしかしたら神社バージョンのお祈りの仕方をしているかもしれません。

祈りの高い意識状態が維持できていないのかもしれません。

意識(エネルギー)が物質化して行くので、本当に丁寧に、自分が今、何を思っているのか、自分の心に今、何があるのか、自分は内側の無限から離れていないか?と確認していたいですね。

「祈りをとめることなかれ」

今日は、イエスの言葉からでした。